和と親しむ会
主人から引き継いで行なおうとしている
和童塾 調律の会 そして スクール
どれもこれも試行錯誤です。
身の回りの整理が何一つ片付いてない状態で、
仕事の面で私にできることを見出していくのは、正直いってかなりきついです。
時たま襲ってくるいいようのない寂しさ。
今までは何もかも共有して分かち合ってきた相手が居なくなり、
何もかも一人で考えて行動しなければならない。
「居てくれたらなぁ。。。。」
という思いがよぎります。
誰かが居てくれるっていいですよねぇ。
一人だと張り合いがないんです。
だんだん掃除やら片付けがいい加減になってきてしまう。
そんなときに来客があると、いやでも片付けなきゃならなくなるので、ありがたいです。
だめだめ、こんな事でめげてちゃいけません。
さて、昨日は主人から引き継ぐ初のスクール。
とはいっても講義はもうしばらくお休みさせていただいて、
まず、和の心をもってほしくて、茶道に親しむことを行ないました。
茶道は日本(和心)の集大成だと思ってます。
礼儀作法から始まりお茶、香道、お花、書、句、器、様々なものと触れ合うことができます。
この会で培ってもらいたいのは、心と間です。
もてなす心は無心でなくてはなりません。
道具の取り合わせなどは少し計算するところもありますが、打算ではなくもてなしから発するアイディアでなくてはなりません。
また、もてなされる者の心得も大切。
お呼ばれしてお茶をもてなしていただく側の感謝の心を忘れてはならない。
そして何よりも茶道に対する一定のルールがあります。
このルールが面倒で、皆茶道から遠のいてしまいます。
お稽古でもこのルールを覚えるのに必死だし、先生もたくさんあるルールを教え込むことを優先してしまいます。
でも、一番大切なのは、心です。
心が養われれば、ルールは自然に身に付きます。
身に付いた動作は、落ち着きがあり、見ていてもとても清々しく凛としたものがあります。
そして、身なりから何もかも省略してしまっている現代で、知らないがためにとても失礼なことをしてしまっている事が結構あります。
忘れられてしまった和心をもう一度思い出すのにも、茶道はうってつけの場だと思ってます。
スクール生はこれから手技の練習が始まります。
この手技を正しく行なうには、落ち着いていて揺らがない凛とした心が必要です。
何事も跳ね除ける強靭な心ではだめなのです。
中心から揺らがないけど受容できる心でないと、正しい手技はできません。
そして、間 です。
落ち着き と 間 が身に付いて 初めて手技に取組める状態になります。
これをいくら言葉で説明してもだめなんです。
自分の中に 落ち着いた動作 と 間 が備わってなければ、どんな説明を何回聞いても出来ません。
茶道では 落ち着いた動作と間が備わっていなければ、必ず粗相をします。
そういう意味で、初の試みですが、スクール生に茶道体験をしてもらってます。
最近の日本の家から和室が消えていくと同時に、日本人としての心得も薄れてきている気がしてなりません。
晩年の主人とも、よくこの話をしてました。
主人も茶道を教えることを強く勧めていました。
「茶道教室」と看板を掲げるのではなく、誰もが親しめる和の教室として茶道に振れられる場をつくりたいと思ってました。
現在はスクール生を対象に行なってますが、ご希望があればどなたでもご参加くださってけっこうです。
MILまでご連絡ください。
たまには和室で正座して、お茶を嗜むのもいいものですよ。
和童塾 調律の会 そして スクール
どれもこれも試行錯誤です。
身の回りの整理が何一つ片付いてない状態で、
仕事の面で私にできることを見出していくのは、正直いってかなりきついです。
時たま襲ってくるいいようのない寂しさ。
今までは何もかも共有して分かち合ってきた相手が居なくなり、
何もかも一人で考えて行動しなければならない。
「居てくれたらなぁ。。。。」
という思いがよぎります。
誰かが居てくれるっていいですよねぇ。
一人だと張り合いがないんです。
だんだん掃除やら片付けがいい加減になってきてしまう。
そんなときに来客があると、いやでも片付けなきゃならなくなるので、ありがたいです。
だめだめ、こんな事でめげてちゃいけません。
さて、昨日は主人から引き継ぐ初のスクール。
とはいっても講義はもうしばらくお休みさせていただいて、
まず、和の心をもってほしくて、茶道に親しむことを行ないました。
茶道は日本(和心)の集大成だと思ってます。
礼儀作法から始まりお茶、香道、お花、書、句、器、様々なものと触れ合うことができます。
この会で培ってもらいたいのは、心と間です。
もてなす心は無心でなくてはなりません。
道具の取り合わせなどは少し計算するところもありますが、打算ではなくもてなしから発するアイディアでなくてはなりません。
また、もてなされる者の心得も大切。
お呼ばれしてお茶をもてなしていただく側の感謝の心を忘れてはならない。
そして何よりも茶道に対する一定のルールがあります。
このルールが面倒で、皆茶道から遠のいてしまいます。
お稽古でもこのルールを覚えるのに必死だし、先生もたくさんあるルールを教え込むことを優先してしまいます。
でも、一番大切なのは、心です。
心が養われれば、ルールは自然に身に付きます。
身に付いた動作は、落ち着きがあり、見ていてもとても清々しく凛としたものがあります。
そして、身なりから何もかも省略してしまっている現代で、知らないがためにとても失礼なことをしてしまっている事が結構あります。
忘れられてしまった和心をもう一度思い出すのにも、茶道はうってつけの場だと思ってます。
スクール生はこれから手技の練習が始まります。
この手技を正しく行なうには、落ち着いていて揺らがない凛とした心が必要です。
何事も跳ね除ける強靭な心ではだめなのです。
中心から揺らがないけど受容できる心でないと、正しい手技はできません。
そして、間 です。
落ち着き と 間 が身に付いて 初めて手技に取組める状態になります。
これをいくら言葉で説明してもだめなんです。
自分の中に 落ち着いた動作 と 間 が備わってなければ、どんな説明を何回聞いても出来ません。
茶道では 落ち着いた動作と間が備わっていなければ、必ず粗相をします。
そういう意味で、初の試みですが、スクール生に茶道体験をしてもらってます。
最近の日本の家から和室が消えていくと同時に、日本人としての心得も薄れてきている気がしてなりません。
晩年の主人とも、よくこの話をしてました。
主人も茶道を教えることを強く勧めていました。
「茶道教室」と看板を掲げるのではなく、誰もが親しめる和の教室として茶道に振れられる場をつくりたいと思ってました。
現在はスクール生を対象に行なってますが、ご希望があればどなたでもご参加くださってけっこうです。
MILまでご連絡ください。
たまには和室で正座して、お茶を嗜むのもいいものですよ。
by idun-2006
| 2007-03-18 11:46
| 心