細胞への感謝
私は主人の病を通じて、初めて自分の体の細胞へ目を向ける事ができました。
以前にも試みたことがありましたが、あまりにもミクロな世界のことで、創造すらできませんでした。
主人の体調が悪化すると、私の体も反応します。
主人の苦痛が辛辣なものになると、私の体の細胞が一斉にざわめき始めます。
体中がざわめいて、自己コントロールの範疇を超えたところで何かが生じます。
鋭敏な感覚とは無縁の私でしたが、「細胞がざわめいている」 と直感しました。
そして、主人が落ち着いてくると、細胞のざわめきも治まります。
恐怖や不安による筋肉の緊張を越えた、細胞レベルでの感応だったのでしょう。
当たり前の事ですが、
細胞が生きているから私の体が存在する。
細胞が生きているから私の体は正常に働いてくれている。
そう実感できた頃から、自分の体がとてもいとおしくなりました。
今日もしっかりと働いてくれる肉体さんに感謝。
一瞬も休むことなく動いてくれている内臓さんに感謝。
いき続けてくれる細胞さんに感謝。
最近も、主人が痛みで苦しんでいたりすると、私の体の一定の筋肉が緊張してつっぱります。
じっとしていても、一気に筋肉が収縮しだすのがわかります。
ずっとこの筋肉の強張りを気にしてましたが、なかなか緩める時間がとれず、昨日からは遂に腰痛へと転じてきました。
慌ててワークによって強張りを緩和させようとしてますが、根強い緊張でなかなかほぐれません。
でも、こんな痛みでさえ恨みつらみを言うこともなくなりました。
自分に生じていることなんて、ごみみたいなもの。
痛いのは痛い。 でも、痛みも喜びと同様に自分のもの。
痛いのだけは何処かへ行ってと思うのは自我。
痛い、痛いといいながらも、自分の痛みが教えてくれている何かをつかむ事。
と主人が教えてくれました。
以前にも試みたことがありましたが、あまりにもミクロな世界のことで、創造すらできませんでした。
主人の体調が悪化すると、私の体も反応します。
主人の苦痛が辛辣なものになると、私の体の細胞が一斉にざわめき始めます。
体中がざわめいて、自己コントロールの範疇を超えたところで何かが生じます。
鋭敏な感覚とは無縁の私でしたが、「細胞がざわめいている」 と直感しました。
そして、主人が落ち着いてくると、細胞のざわめきも治まります。
恐怖や不安による筋肉の緊張を越えた、細胞レベルでの感応だったのでしょう。
当たり前の事ですが、
細胞が生きているから私の体が存在する。
細胞が生きているから私の体は正常に働いてくれている。
そう実感できた頃から、自分の体がとてもいとおしくなりました。
今日もしっかりと働いてくれる肉体さんに感謝。
一瞬も休むことなく動いてくれている内臓さんに感謝。
いき続けてくれる細胞さんに感謝。
最近も、主人が痛みで苦しんでいたりすると、私の体の一定の筋肉が緊張してつっぱります。
じっとしていても、一気に筋肉が収縮しだすのがわかります。
ずっとこの筋肉の強張りを気にしてましたが、なかなか緩める時間がとれず、昨日からは遂に腰痛へと転じてきました。
慌ててワークによって強張りを緩和させようとしてますが、根強い緊張でなかなかほぐれません。
でも、こんな痛みでさえ恨みつらみを言うこともなくなりました。
自分に生じていることなんて、ごみみたいなもの。
痛いのは痛い。 でも、痛みも喜びと同様に自分のもの。
痛いのだけは何処かへ行ってと思うのは自我。
痛い、痛いといいながらも、自分の痛みが教えてくれている何かをつかむ事。
と主人が教えてくれました。
by idun-2006
| 2007-01-29 06:50
| 身体