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心と身体のよりどころ

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心に花園を ~支え~

主人を看取ったとき、大変多くの方から賞賛する声をいただいた。

 ”あなたは凄い” ”偉かった” ”よくやった”

初めは主人のことをおっしゃっているのかと思っていたが、私のことも褒めてくださっていた。

そんな中、一人の男性の声が耳に留まった。

「俺のかみさん、俺が倒れたら、こんなにやってくれるかな。」

通夜しか参列できない方のために、ささやかな精進落しに変わるものをお出しした席でのことだった。
何気ない一言の中に本音がうかがえる。
私たちの姿とご自分達夫婦の像を重ねてみたのだろう。
私が看病をしていたときの状況からの感想を抱かれたのか、葬儀の様子から想像されたのか定かではないけれど、自分のことで奥様が手厚く対応してくれるのか確信がもてないご様子だった。
でも、私はこの一言にひっかかった。

”逆に奥様が倒れたとき、貴方は「ここまで」と称することをしてあげられるのか。”
”奥様に「ここまで」のことをやってもらいたいと思うくらい、普段から奥様のことを大切にしているのか。”
”奥様と対話する時間はどれだけあるのか。その中で、理解し合えているのか。”

自分の行ないを振り返るよりも先に、人に臨むことが先行したことにひっかかった。

私と主人の生活を振り返ると、私たちは一緒に仕事をしていたこともあって、共に過ごす時間が普通のご夫婦に比べると遥かに長かった。 家にいても外出しても、私たちが時間を共有するのは当たり前のことで、共有する時間の中で私たちが交わす会話は、身体のことであり、身体を取り巻くエネルギーや心の問題など、尽きることなく幅広く対話していた。 意図していたわけではなく、極々自然の流れの中で、気が付けば二人で過し、会話を重ね、その会話の中で相手を理解し、相手の個性を尊重していた。
いつも穏やかな会話ばかりではなく、ときには口論にもなるけれど、多くの会話の中から相手の人生観を把握するからこそ、相手が望むことをしてあげることができる。
私たちは無理をしてこの過程をたどったわけではなく、気が付いたらそういう生活になっていた。
時に彼の小難しい哲学館を聞く羽目になり、頭がパンクしそうになるけれど、それは苦痛とはならず、私にはない彼独特の壮大で繊細な人生観を学ぶ、貴重な時間だった。
互いに相手を思いやる気持ちを忘れないようにしつつ、二人の時間を楽しめていたのだと思う。

主人を失った直後、私は
「最高のパートナーだった。 これほどのパートナーにはもう巡り会えないだろう。」
と瞬間的に思った。

先ほどの男性は、「最高のパートナー」と思ってもらえるだけのことを、奥様に対して行っているのだろうか。
呟いた方を見ていてそうとは思えなかったので引っかかったのだと思う。
順番が逆なのだ。 自分がしてもらいたいのなら、自分がしておかなければならない。
by idun-2006 | 2013-02-23 07:57 | 闘病生活

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