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心と身体のよりどころ

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心に花園を ~確認~

モルヒネの血中濃度が一定に達すると、痛みは遠のき、私たち二人の会話を取り戻すことができた。
その代わり、彼は妄想の世界に浸る時間もできてしまった。
ただし、普通の病人と違うのは、本人が妄想を見ているとか、ちぐはぐな発言をしていることを自覚していた。

私が困ったのは、妄想の中で話している主人でも、彼の話は身体のことであったり心の在り方であって、まともな話題だったこと。 まじめに受け止めなければならないのか聞き流すべきことなのか、彼の様子から判断しなければならなかった。
時に、彼のほうから 「今わけの分からないこと言ってるから、聞き流してね。」 と忠告してくれることもあった。

「調心、調息、調身。 運動も身体の調整も、この三つが整うものでなければ、それは間違った方法だ。」

「なになに、ちょっと待って。 書き留めるから待って。」

普段から私たちの会話はこういう内容のものだった。元気だった頃の会話が取り戻せた喜びと共に、今からは一言も聞き漏らさず受け止めなければという焦りから、彼の語りを一端止めなければならないこともあった。

凄腕看護師さんとの会話も楽しいひと時だった。
医療従事者である看護師さんの立場から見る人間。
武道家であり身体指導者である主人が思う人間のあるべき姿、目指すもの。
主人が寝ている部屋は病人を看病する部屋ではなく、とてつもなく高次元な場となっていた。
医師も看護師も彼を担当する者は皆、勉強になると言って彼の話に魅入られていった。
会話を通していつもの指導者としての感覚を取り戻しつつ、「俺はまだやれる」 と確認をしているようだった。

このまま順調に回復してほしい。 体調も食欲も取り戻してほしい。
もしかしたら、本当にそうなるかもしれないと思い始めた矢先に、現実を突き尽きられた。

凄腕看護師さんがいつもの通りに点滴をしかけに訪れた。
いつものように会話を楽しみ、いつものように体調が崩れていないことを確認したところで突然、
「もしもの時が来たら、どうする? 病院に戻る? このまま家で迎える?」

私は絶句した。 今? なぜ今? なんで事前に私に言ってくれないの?
主人のことが心配になった。 彼はまだ諦めてはいない。 ここから巻き返そうとしていた。 まだできると思いを固めていた矢先に突き付けられた現実。
このまま彼には現実など無視して、自分の思うとおりに貫かせてあげたかった。
私の心配をよそに、主人は冷静だった。

「家で迎えます」

ちょっと待って。 それって、私が独りであなたの最期を看取るということでしょ。
そんな大切なことを私に相談なく、私の意思を確認しないで、貴方が勝手決めてしまうの?
そのんな辛い現実を、また独りで受け止めなければならないの? 
自信がなかった。 想像もできなかった。
独りで看病を続けたきた私は、身体も心もズタズタだった。 
毎日、気持ちを奮い立たせて彼の看病を続けているというのに、更に辛く張り裂けそうな現実を冷静に対処できるのか、まったく自信がなかったし、やり遂げようとする意欲もわかない。 彼の死が怖い。 恐怖心に包まれてしまった。
それでも、やっぱり優先するのは私ではなく、主人の意志。 
彼が望んでいるなら、付き合うしかない。 私しかいないのだから。
我に返ると、今度は主人のことが心配になった。
落ち込んではいないだろうか。 生き抜く望みを失っていないだろうか。

彼はそんな弱い人間ではなかった。
確かにショックだったけれど、それは彼女の立場上、決まり事としての確認事項であり、自分の現実とは切り離して考える。 そんな内容のことを後に言っていた。

看護師さんも同様だった。
「ごめんね。急に言い出しちゃって。 私もできれば聞きたくなかったんだけど、彼が冷静なうちに、いつかは確認しとかなければならないことだったから。 毎日、今日聞こう。 明日聞こうって思ってたの。 構えてしまうとおかしな空気になっちゃうから、エイ!って思い切って聞いちゃった。 なるべく暗くならないように気を付けたつもりなんだけど、彼、大丈夫だった?」

それぞれがそれぞれの立場で互いを気遣っていたのだった。
by idun-2006 | 2013-01-15 09:18 | 闘病生活

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