コミュニケーション
身近なお付き合いの中で、お土産のことについて話題になりました。
夏休みを利用して、旅行をされた方がお土産を買ってきてくださいます。
会社で所属するチームメンバーがそこそこの人数になると、毎日のようにお菓子が配られたりします。
普段一緒に仕事をしている仲間からいただきっぱなしというのも気が引けます。
自分がどこかへ出かけたときに、お返しをしようと思うのが普通なのではないかという話。
ところが、中にはとてもドライに捉える子もいて、
「勝手に好きで買ってきているんだから、気にすることはない。」
と言い切ってしまう人もいます。
職場の環境にもよるのかもしれませんが、同僚の皆がお土産を配る環境の中、自分だけもらうだけで知らん顔というのもコミュニケーションとしてどうなのか?と思ってしまいます。
(世代によるギャップなのか?)
「こんな習慣があって迷惑」 と思いながら配るくらいなら、「気にしない」 とドライに捉えて無視してもいいかもしれない。
ただし、人との付き合い方は限定されてしまうと思います。
子育て中のお母さんの動向にも疑問を抱くことがあります。
電車の中で、小さな子供連れのお母さんを見かけますが、ほぼ全員が携帯を手にしています。
今ではスマホなのかもしれませんが、子供が母親の注意を引きたくて一生懸命話かけていても、お母さんは携帯の画面から目を離さずに生返事をしています。
近所の2歳児くらいの子供がいるお宅では、毎日子供の絶叫する泣き声が聞こえてきます。
毎朝起きぬけに絶叫。 普段の昼間は保育所に預けるので静かですが、帰宅すると同時にまた絶叫。
お休みの日は昼夜を問わず絶叫です。
単なる泣き声を超えて、絶叫です。
はじめは具合でも悪いのか、暑いからかと思っていたのですが、いつも母親のあやす声が聞こえてきません。
そこで思ってしまったのが、もしかしたら仕事をしているお母さんのこと、自宅に帰って子供との時間を持つよりも、携帯やパソコンに夢中になっているのかもしれないという想像です。
男の子のお子さんは、まだ言葉を話さないので、親の注意を引きたくて泣き叫んでいる気がしてなりません。
昔のお母さんには自分の時間はありませんでした。
パソコンも携帯もなく、もう一昔前のお母さんにはテレビもありません。
それだけに、子供と向き合う時間がたっぷりあったのだと思います。
どこまでが過保護で、どこまでは手を出さなければならないのか、試行錯誤の子育てで、自分の子供教育していました。
たとえ仕事を持っているお母さんでも、帰宅してからの子供との時間を大切にしていました。
すくなくとも起きている子供の前で携帯に夢中になることは考えられないことだったのではないでしょうか。
大学で英語を教えているアメリカ人の教授からのお話で、自分の学生に質問を問いかけると、皆そっぽを向いて「俺は知らない」 という無表情な顔をしているのだそうです。
「質問しているのは僕。 僕の方を見なさい。」 と注意を促すと、とりあえず顔を向けるけれど、やはり無表情、無関心、無反応なのだそうです。
そこで私が冗談で、「今の学生くんたちはモバイル慣れしているから、携帯みたいなモバイルじゃないと反応しないのかも。 生のコミュニケーションができなくなっているのでは?」
というと、 「そっか、じゃ僕がモバイルフォンの恰好をしてくれば、彼らは反応するかもしれないね。」
と互いに大笑いしてしまいました。
いまでは当たり前の生活習慣となったパソコンや携帯、スマホからの情報収集やゲーム遊び。
でも、どこかで歯止めをかけないと、崩壊してしまうことになりかねません。
体力が低下したご年配になると、その必要性を身近に感じるのです。
夏休みを利用して、旅行をされた方がお土産を買ってきてくださいます。
会社で所属するチームメンバーがそこそこの人数になると、毎日のようにお菓子が配られたりします。
普段一緒に仕事をしている仲間からいただきっぱなしというのも気が引けます。
自分がどこかへ出かけたときに、お返しをしようと思うのが普通なのではないかという話。
ところが、中にはとてもドライに捉える子もいて、
「勝手に好きで買ってきているんだから、気にすることはない。」
と言い切ってしまう人もいます。
職場の環境にもよるのかもしれませんが、同僚の皆がお土産を配る環境の中、自分だけもらうだけで知らん顔というのもコミュニケーションとしてどうなのか?と思ってしまいます。
(世代によるギャップなのか?)
「こんな習慣があって迷惑」 と思いながら配るくらいなら、「気にしない」 とドライに捉えて無視してもいいかもしれない。
ただし、人との付き合い方は限定されてしまうと思います。
子育て中のお母さんの動向にも疑問を抱くことがあります。
電車の中で、小さな子供連れのお母さんを見かけますが、ほぼ全員が携帯を手にしています。
今ではスマホなのかもしれませんが、子供が母親の注意を引きたくて一生懸命話かけていても、お母さんは携帯の画面から目を離さずに生返事をしています。
近所の2歳児くらいの子供がいるお宅では、毎日子供の絶叫する泣き声が聞こえてきます。
毎朝起きぬけに絶叫。 普段の昼間は保育所に預けるので静かですが、帰宅すると同時にまた絶叫。
お休みの日は昼夜を問わず絶叫です。
単なる泣き声を超えて、絶叫です。
はじめは具合でも悪いのか、暑いからかと思っていたのですが、いつも母親のあやす声が聞こえてきません。
そこで思ってしまったのが、もしかしたら仕事をしているお母さんのこと、自宅に帰って子供との時間を持つよりも、携帯やパソコンに夢中になっているのかもしれないという想像です。
男の子のお子さんは、まだ言葉を話さないので、親の注意を引きたくて泣き叫んでいる気がしてなりません。
昔のお母さんには自分の時間はありませんでした。
パソコンも携帯もなく、もう一昔前のお母さんにはテレビもありません。
それだけに、子供と向き合う時間がたっぷりあったのだと思います。
どこまでが過保護で、どこまでは手を出さなければならないのか、試行錯誤の子育てで、自分の子供教育していました。
たとえ仕事を持っているお母さんでも、帰宅してからの子供との時間を大切にしていました。
すくなくとも起きている子供の前で携帯に夢中になることは考えられないことだったのではないでしょうか。
大学で英語を教えているアメリカ人の教授からのお話で、自分の学生に質問を問いかけると、皆そっぽを向いて「俺は知らない」 という無表情な顔をしているのだそうです。
「質問しているのは僕。 僕の方を見なさい。」 と注意を促すと、とりあえず顔を向けるけれど、やはり無表情、無関心、無反応なのだそうです。
そこで私が冗談で、「今の学生くんたちはモバイル慣れしているから、携帯みたいなモバイルじゃないと反応しないのかも。 生のコミュニケーションができなくなっているのでは?」
というと、 「そっか、じゃ僕がモバイルフォンの恰好をしてくれば、彼らは反応するかもしれないね。」
と互いに大笑いしてしまいました。
いまでは当たり前の生活習慣となったパソコンや携帯、スマホからの情報収集やゲーム遊び。
でも、どこかで歯止めをかけないと、崩壊してしまうことになりかねません。
体力が低下したご年配になると、その必要性を身近に感じるのです。
by idun-2006
| 2012-09-16 15:55
| 心と身体のストレッチ