ハンドパワー
「ハンドパワー」
なんて言ってしまうと超能力みたいな感じを抱いてしまいますが、
そんな限られた人が持つ特殊な能力ではなく、
誰もが持っている「人間の能力」のお話。
毎日当たり前に使っている私たちの手。
考えてみると膨大な仕事をしてくれてますよね。
あまりにも当たり前のこととなっているので、どれだけ働いてくれているのか、細かく認識するのはほぼ不可能です。
失敗したり上手く作業ができなかったりすると、「なんて自分は不器用なんだろう」などと自分の手を恨めしく眺めたりしてしまいます。
そんな極普通の手でも、時に凄い働きをすることがあります。
私にとって忘れることのない手がいくつかあります。
その一つが「お母さんの手」。
編み物や縫い物をしているお母さんの手。
手際よく料理をするお母さんの手。
咳き込む背中を優しくさすってくれるお母さんの手。
なかなか寝付けない中、背中をトントンと優しく手をあててくれたお母さんの優しい手。
この偉大な手の変わりになれるものは存在しません。
どんなに頑張っても超えることのできない母の手です。
そしてもう一つは、主人の手。
この手には大変お世話になりました。
彼の施すブレインストレッチによって身体から無駄な力を抜くこと、心の中から余計な垣根を取り払うことを教えてもらいました。
激痛で苦しむ身体を癒してもらったこともありました。
究極のリラクゼーションとはどういうものなのかも体感させてもらいました。
彼が病んでいるさなか、過労による嘔吐で苦しむ私の背中を擦ってくれた手は、まさに超人の手でした。
病に臥した主人には、ブレインストレッチの手法そのものは施せなくなっていました。
激痛にもだえ苦しむ主人を前に、自分の無力感に心が押しつぶされそうになりながらも伸びた手は主人の背中を擦ってました。
その手は多少なりとも主人の痛みを和らげることができていました。
毎日欠かさず施していた腹部マッサージと足滋法は主人のお気に入りの手法で、何もできなくなった主人にとって至福のひと時でした。
そんな日々の積み重ねから、ついに私の手が彼のためのゴッドハンドになったのです。
ここで言いたいのは「母の手」も「主人の手」も「私の手」も特別な手ではないということ。
ここで紹介した手には欲も邪心も野心もありません。
少しでも楽になってもらい一心のみなのです。
そういう人としての愛念が極まった時に、誰の手もゴッドハンドになりえます。
現在、ブレインストレッチの手技を学びに来てくださっている方がいらっしゃいます。
まず自分の手と向き合うことになります。
掌から余分な力を抜く。
それがどういうことなのかがわかるまでにひと山越えなければなりません。
自分の体位、脚の位置、手の動きなど思考が自分の身体に向かっているうちは上達しません。
相手の身体に意識が向かい始めると、単なる物体だった手がマッサージを施す手になり、ブレインストレッチを施せる手に移行し始めます。
いつも意識を極めた状態に保つ なんてことは不可能です。
疲れてしまいます。
でも、ここぞというときにしっかりと働ける状態にしておきたいものです。
それには、普段から身体を解して歪みを排除しておくことが大切です。
身体のバランスを保てていると、思考のバランスも整い、ハンドパワーを活かすことができます。
生花で練習してみるのもいいですね。
お花を前にして「きれいに咲いてくれてありがとう。 楽しませてくれてありがとう。」
と毎日手をかざします。
その思いが真直ぐお花に届いたとき、その美しさを長く楽しませてくれます。
なんて言ってしまうと超能力みたいな感じを抱いてしまいますが、
そんな限られた人が持つ特殊な能力ではなく、
誰もが持っている「人間の能力」のお話。
毎日当たり前に使っている私たちの手。
考えてみると膨大な仕事をしてくれてますよね。
あまりにも当たり前のこととなっているので、どれだけ働いてくれているのか、細かく認識するのはほぼ不可能です。
失敗したり上手く作業ができなかったりすると、「なんて自分は不器用なんだろう」などと自分の手を恨めしく眺めたりしてしまいます。
そんな極普通の手でも、時に凄い働きをすることがあります。
私にとって忘れることのない手がいくつかあります。
その一つが「お母さんの手」。
編み物や縫い物をしているお母さんの手。
手際よく料理をするお母さんの手。
咳き込む背中を優しくさすってくれるお母さんの手。
なかなか寝付けない中、背中をトントンと優しく手をあててくれたお母さんの優しい手。
この偉大な手の変わりになれるものは存在しません。
どんなに頑張っても超えることのできない母の手です。
そしてもう一つは、主人の手。
この手には大変お世話になりました。
彼の施すブレインストレッチによって身体から無駄な力を抜くこと、心の中から余計な垣根を取り払うことを教えてもらいました。
激痛で苦しむ身体を癒してもらったこともありました。
究極のリラクゼーションとはどういうものなのかも体感させてもらいました。
彼が病んでいるさなか、過労による嘔吐で苦しむ私の背中を擦ってくれた手は、まさに超人の手でした。
病に臥した主人には、ブレインストレッチの手法そのものは施せなくなっていました。
激痛にもだえ苦しむ主人を前に、自分の無力感に心が押しつぶされそうになりながらも伸びた手は主人の背中を擦ってました。
その手は多少なりとも主人の痛みを和らげることができていました。
毎日欠かさず施していた腹部マッサージと足滋法は主人のお気に入りの手法で、何もできなくなった主人にとって至福のひと時でした。
そんな日々の積み重ねから、ついに私の手が彼のためのゴッドハンドになったのです。
ここで言いたいのは「母の手」も「主人の手」も「私の手」も特別な手ではないということ。
ここで紹介した手には欲も邪心も野心もありません。
少しでも楽になってもらい一心のみなのです。
そういう人としての愛念が極まった時に、誰の手もゴッドハンドになりえます。
現在、ブレインストレッチの手技を学びに来てくださっている方がいらっしゃいます。
まず自分の手と向き合うことになります。
掌から余分な力を抜く。
それがどういうことなのかがわかるまでにひと山越えなければなりません。
自分の体位、脚の位置、手の動きなど思考が自分の身体に向かっているうちは上達しません。
相手の身体に意識が向かい始めると、単なる物体だった手がマッサージを施す手になり、ブレインストレッチを施せる手に移行し始めます。
いつも意識を極めた状態に保つ なんてことは不可能です。
疲れてしまいます。
でも、ここぞというときにしっかりと働ける状態にしておきたいものです。
それには、普段から身体を解して歪みを排除しておくことが大切です。
身体のバランスを保てていると、思考のバランスも整い、ハンドパワーを活かすことができます。
生花で練習してみるのもいいですね。
お花を前にして「きれいに咲いてくれてありがとう。 楽しませてくれてありがとう。」
と毎日手をかざします。
その思いが真直ぐお花に届いたとき、その美しさを長く楽しませてくれます。
by idun-2006
| 2011-02-16 11:13
| 癒し