すっぴん奮闘気 ~3年が経って~
主人が亡くなって、3年が経ちました。
思えば、主人を亡くした直後に数名のお客様より
「立ち直るのに3年かかるわよ。」
なんて言われたことを思い出します。
3年なんて、経ってしまえばあっという間。
でも、つらい思いをした直後に さらに3年引きずるのかと思うと、気持ちが暗くなったものです
落ち込み、ふさぎこんでいる余裕はなかったのは救いだったのかもしれない。
なんとか一人で暮らしていかなければならず、どうしたものかと四苦八苦する毎日。
いまだにそんな生活は続いているけれど、"気がつけば3年経っていた" というのが正直なところ。。
主人を看送った後も、事情を知らない方は私を見ていても気づかなかった。
当時、よく言われたのは、
「そんな経験をした直後だなんて、まったく感じられないわよ。」
2年目になると、
「やっぱり昨年は、薄く黒いベールが覆っていたって感じだったのね。年が明けたら、ベールがはがれたみたいよ。」
そして、最近は
「そんな大変な経験をされたなんて感じられないくらい明るいし、前向きでえらいわね。」
主人を看病していたときから言われてきた 「偉い」 の言葉。
決して偉くはないです。 やらなきゃならない環境・状況だから、やるしかない。
辛い、悲しいってふさぎこんでいて生活できるなら、そうなってたかもしれない。
それでも、1年目の私は、外へ出られなかった。
散歩に出るのも半年かかったし、仕事の面でも、外へ向かってはいかれなかった。
2年目になると、生活費を稼ぐためにとにかく出なければという気持ちになり、3年目は、必死にできることを途絶えないようにつなげてきたって感じ。
さて、4年目に入り、これからはただがむしゃらではなく、設計図をたてる余裕がほしいですね。
当然ながら、この3年、主人のことを忘れたことはありません。
仕事上、どうしたって主人の話題が出てしまうし。
ただ、3年の間で主人への感じ方が微妙に変化してきている気がしてます。
はじめのころは、よく夢をみてました。
(自殺願望がないと、夢の中で会いにきてくれるといいますよね。)
“遠くへ行ってしまって もう会えないと思ってたのに、なんだここにいたんじゃない”
というニュアンスの夢。 夢の中でホッとして、目が覚めてがっかり。
年がら年中主人のことを考えてたら、それは主人に執着していることになる。
だからというわけではないけれど、最近は、あまり看病していた頃のことや、主人と過ごしていた頃のことを考えなくなりました。 たまにフラッシュバックするくらい。
でも、さすがにこの時期は、ちょっと感傷的になります。
テラスに植えたヒヤシンスの甘い香りに触れると、テラスを飾ってもらった色鮮やかなの花園を思い出します。
折れそうな私の心を支えてくれた花たち。
私と主人を、優しく覆ってくれた花たち。
暖かな晴れた日にテラスへ出て、一緒に花を愛でた一時を思い出します。
ほんとにたくさんの花に囲まれました。
目で楽しみ、甘い香りをかいで楽しむ。
花をプレゼントしてくださったu先生のことも思い出します。
u先生からいただいた胡蝶蘭は、今年も花を咲かせてくれました。
そんなこんなで、この時期はどうしても主人とのことを思い出し、胸が熱くなります。
部屋の中にもお見舞いにいただた花がたくさんありました。
花に囲まれて旅立っていった。
3年経っても主人のことを忘れずに、お花を贈ってくださったテニス塾のみなさん、ありがとうございます。
「皆さん、忘れずにいてくださったよ。いろいろと気遣ってくださり、立派なお花を贈ってくださったの。」
と主人に報告すると、
「ありがたいね。 みんなに感謝だな。」
と語る主人の声が聞こえてきたんです。 ひさしぶりだった、主人の声。
いつも語り合っていたままの主人の声の響きが甦ってきたもので、報告しながら動揺してしまい、涙がこみ上げてきちゃいました。
皆さんの思いは、しっかりと松本先生に届きました。
ありがとうございます!
さあ、私も もっともっと頑張らなきゃ。
臆病な自分が顔を出さないように、しっかりしなきゃね。
by idun-2006
| 2010-03-06 00:14
| 徒然ごと