感性の相違
いつもの美容院で、珍しく先生(店長)が、部下の子にシビアな指示をしていました。
っで、感性についての話になったんです。
美容院って、新米さんはシャンプーやその他のセッティングに専念し、徐々にブローが許され、更にトレーニングを積んでカットができるようになっていきますね。
ブローも始めは後ろだけ。 少しずつ横から全体に、軽めのセットを許されていきます。
オーナーからすると、自分の店なわけですから、技術者によって多少のカラーが生じても仕方がないけれど、やはり自分の感性を大切にしたいのは、当然のことです。 特に、自分のお客様を時間の都合上 誰かにお願いするときは、自分が描いているイメージを壊さないでほしいと強く願います。
「指導するって難しいよね。 なかなか自分が言わんとすることが相手に伝わらない。 何度言っても分かってもらえないと、自分の感覚を粗くして支持しないと、やってもらえなくなってくるんだよね。 本来の感性で要求することは、いつまでたってもできないまま。 でも、それって技術レベルの低下にも繋がるし、ある種のジレンマに陥るよ。」
この言葉に、もの凄く共感したんです。
施療技術を指導しているとき、感性が繊細になっているときは、気が付くと全て駄目だしになってしまいます。
だから指導を受けるほうは、気落ちしてしまったり、迷路にはまってしまいます。
駄目だしに奮起して、喰らい付いてくるくらいのバイタリティがある子が少なくなってます。
最近の私、昨年腰を強打して以来、繊細な感覚が乱れているように感じてます。
今の身体生じている後遺症を思えば、あれは事故といってもいい状況でした。
かなり動けるようになったものの、バランスを取り戻すまでには至っていません。
常に腰痛を抱え、痛みを起こさないラインを使って歩くように意識しているものの、筋肉に大きなダメージを受けているため、微調整が思うようにできないことが度々あります。
そんな身体ですから、感性はかなり粗くなっているはずなんです。
だから生徒さんの手技に駄目だしが出ない。
できてないことは感じてますが、以前のように耐えられない状態にはならない。
感性を繊細な状態へ戻してしまうと、手技の指導が辛くなるので、あえて粗いままにしていたりする自分がいます。
そんな自分に気づいたとき、「これでいいのか」 とジレンマに陥るんです。
生徒さんが何かを見出してくれたとき、安堵と喜びに浸れます。。
それが励みとなり、次の段階を伝えたいという欲求に繋がります。
厳しいことばかり言っていると 学ぶ気持ちが薄れしまう。
ハードルを下げると、技術レベルが低下してしまう。
正確に伝えたいと思うと、どうしても指導は厳しくなるものです。
でも、厳しい指導の中に愛を感じられれば、生徒さんは乗り越えられるはずなんです。
愛のある厳しい指導。 指導する側も、自問自答に事欠きません。
おそらく同じようなことで悩んでる指導者って、けっこういるんじゃないかな。
※この話はお弟子さん育成となったときの戸惑いであって、お客様指導には当てはまらないことを付け加えておきます。
っで、感性についての話になったんです。
美容院って、新米さんはシャンプーやその他のセッティングに専念し、徐々にブローが許され、更にトレーニングを積んでカットができるようになっていきますね。
ブローも始めは後ろだけ。 少しずつ横から全体に、軽めのセットを許されていきます。
オーナーからすると、自分の店なわけですから、技術者によって多少のカラーが生じても仕方がないけれど、やはり自分の感性を大切にしたいのは、当然のことです。 特に、自分のお客様を時間の都合上 誰かにお願いするときは、自分が描いているイメージを壊さないでほしいと強く願います。
「指導するって難しいよね。 なかなか自分が言わんとすることが相手に伝わらない。 何度言っても分かってもらえないと、自分の感覚を粗くして支持しないと、やってもらえなくなってくるんだよね。 本来の感性で要求することは、いつまでたってもできないまま。 でも、それって技術レベルの低下にも繋がるし、ある種のジレンマに陥るよ。」
この言葉に、もの凄く共感したんです。
施療技術を指導しているとき、感性が繊細になっているときは、気が付くと全て駄目だしになってしまいます。
だから指導を受けるほうは、気落ちしてしまったり、迷路にはまってしまいます。
駄目だしに奮起して、喰らい付いてくるくらいのバイタリティがある子が少なくなってます。
最近の私、昨年腰を強打して以来、繊細な感覚が乱れているように感じてます。
今の身体生じている後遺症を思えば、あれは事故といってもいい状況でした。
かなり動けるようになったものの、バランスを取り戻すまでには至っていません。
常に腰痛を抱え、痛みを起こさないラインを使って歩くように意識しているものの、筋肉に大きなダメージを受けているため、微調整が思うようにできないことが度々あります。
そんな身体ですから、感性はかなり粗くなっているはずなんです。
だから生徒さんの手技に駄目だしが出ない。
できてないことは感じてますが、以前のように耐えられない状態にはならない。
感性を繊細な状態へ戻してしまうと、手技の指導が辛くなるので、あえて粗いままにしていたりする自分がいます。
そんな自分に気づいたとき、「これでいいのか」 とジレンマに陥るんです。
生徒さんが何かを見出してくれたとき、安堵と喜びに浸れます。。
それが励みとなり、次の段階を伝えたいという欲求に繋がります。
厳しいことばかり言っていると 学ぶ気持ちが薄れしまう。
ハードルを下げると、技術レベルが低下してしまう。
正確に伝えたいと思うと、どうしても指導は厳しくなるものです。
でも、厳しい指導の中に愛を感じられれば、生徒さんは乗り越えられるはずなんです。
愛のある厳しい指導。 指導する側も、自問自答に事欠きません。
おそらく同じようなことで悩んでる指導者って、けっこういるんじゃないかな。
※この話はお弟子さん育成となったときの戸惑いであって、お客様指導には当てはまらないことを付け加えておきます。
by idun-2006
| 2009-10-13 00:32
| 心と身体のストレッチ