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心と身体のよりどころ

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1000万人のカラダ革命 ~感覚 vol.2~

運動の「センス」とは感覚のことですから、運動神経以前のところでセンスが決まってしまっています。
固まった身体とは、筋肉が硬くなり受容体としての精緻な働きができなくなっている身体です。
受容体の働きが劣化しているわけですから、当然股関節の位置など感知できません。
肩甲骨と肋骨が筋肉の緊張により癒着している人は、肋骨と肩甲骨の区別がつかなくなっています。腕の動き肋骨は区別できるものなのですが、肋骨と肩甲骨が切り離されていないため、腕の動きに肋骨がついてきてしまいます。つまり、腕を挙げると肋骨もつられて引っ張り挙げられてしまいます。
こういった状態の人は、胸郭(胸の部分)が一つの箱のような感覚になっています。
それぞれの骨が自由に動くことで、しっかりとした呼吸が行われるのですが、箱のように固まった肋骨の人は、当然 その呼吸は浅く、酸素の供給量が慢性的に低下してしまいます。
こういう人が呼吸法を行っても、かえって筋肉が緊張し、横隔膜が上がったままになって、血圧を上げてしまい不健康になるための呼吸法になってしまいます。

このように固まった身体の状態を 「ギブスをはめているようなもの」 と松本先生は表現されていました。
手足をギブスで固定された状態を想像すれば、その不便さ、ぎこちなさ、動けない苛立ちなどを容易に想像できると思います。
動けないストレスや不快さえ、長い期間を経て固まった身体と付き合っていると、その不快さを感じられないほど感覚は鈍化してしまいます。鈍重極まりない身体と動きが人間であると、いつのまにか頭の中の理解を書き換え、誤解して記憶してしまいます。
つまり、運動神経を巧妙に駆使する以前に、運動の可能性を極狭い範囲に限定してしまっているのです。
「このギブスをはめたように固まった身体」は、身体が解れて自由に動けるようになったときに、初めて「ギブスをはめていた」ことの意味を実感することができます。
また、一体解れた身体が再び何かの理由で固まりだしたとき、動かなくなった不自由さを「ギブスをはめたみたい」と理解することができます。
初めてこの表現に触れたとき、実に面白い理解の仕方だと思いました。
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身体の感覚は、そのまま脳の感覚につながっていきますから、一流選手の美しい動きなどを見ても、とても自分に可能なイメージは湧いてこないのです。
こうした感覚の鈍いからだは、当然脳の機能も鈍化し、バランスが取れていません。
機能的バランスがとれていない脳ですから、その使用も当然かたよってしまい、感情表現、情緒の育成につながっていく、身体の隅々までを動かしていく自然な連動からは、益々遠ざかり、悪循環に陥ってしまいます。
by Ryu Matsumoto

by idun-2006 | 2009-09-16 10:25 | りゅう先生

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