心と身体のよりどころ

idun2006.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:心と身体のストレッチ( 158 )

紐解いて

久しぶりに主人の文章に触れてみました。
懐かしい! 
主人との会話が蘇り、彼の溢れ出る概念のシャワーを再び浴びせられた感じがします。
なんと緻密な文なんだろう。
スポーツ、武道、身体学、ジャンルを問わず膨大な原稿が残っていたことを忘れていたわけではないけれど、改めて紐解いてみると愕然とします。

晩年は、頭の中からあふれ出すものを全て出し切る勢いを感じます。

毎日が身体論を確認し合う私たちの時間。
今、当時のレベルで私が話をしても、誰も理解を示してもらえないような内容です。
ある意味超越してました。
独りになって唯一の理解者を失い、彼から得てきた一番大切なことを封印していることに気付きました。

とても大切なことがいっぱい詰まっているのに。
そのまま出してしまうのではなく、分かりやすい文章に変換しなければと思うと筆が進みません。
でも、どうにか工夫して封印を解かなければと切実に感じてます。

数万円で取得できる資格を取って、そこで習った体操を「私の体操」と主張できるようなにわか仕込みの内容とはレベルが全く違うことを改めて思い出させてもらった主人の原稿です。
[PR]
by idun-2006 | 2014-09-14 01:06 | 心と身体のストレッチ

stressless life

「あなたは強いから大丈夫なのよ」

そんな言葉を投げかけられた方が
「先生、私けっして強くないのよ。どれだけ泣いてきたことか」

精神面でも肉体面でもたくさん傷ついてきた彼女は、”これからの人生を明るく、楽しく行きたいからまず体を治して元気になりたい” と、私のパーソナルを受けてくださっている。

傍からみれは強く見えるかもしれないけれど、彼女の実態は真逆といえるかもしれない。
体は病気や怪我からいくつものメスが入っている。
心も多くの問題を抱えてズタズタになっていた。

それでも彼女が笑顔を向けて前向きに歩き出したのは、辛いと思う生活から決別したいと決心したから。
「そしたら素晴らしい出会いがあるのよ。救われるの。先生との出会いもそう。」

数々の難題と向き合ってきた結果これからの人生へのビジョンが明確になり、目先の苦痛を乗り越える力となっていた。 彼女にとって楽なトレーニングではないと思うけれど、時に冗談を交えて、愚痴りながらも大笑いしたりの楽しい時間となっている。

人は楽な選択をするもの。 辛く困難な道をあえて選ぶことはしない。
恵まれた環境の中にいれば、いらぬ努力はする必要がない。
その「恵まれた環境」の中にどっぷりと浸かっていると、それが当たり前になって恵まれていることに気付けなくなる。ある種の甘えが生じているが、本人には分からない。
恵まれた環境の中で何を見ているかで、幸福感を抱けるか満たされることなく不平不満を述べているかに分かれてしまう。

端から「恵まれた環境」にない者は、甘えられる環境にないために何事も自分で処理するしかない。
そんな姿をみて「貴方は強い」 と言われてしまう。
けっして楽々とこなしているのではなく、「人様には迷惑をかけないように」と必死に対処しているだけなのに。

元々弱い人間など存在しない。 人は無限の力を持っているもの。
視点をどこに向けているかで「弱い・強い」の線引きをしてしまう。
どんな方でも、自分には無限なる力があることを忘れないでほしい。

私もよく平々凡々と苦労なく暮らしているように見えると言われるが、とんでもない!
難題に立ち向かっている最中に「あなたは強いから大丈夫」などと言われてしまうと、その言葉をバネにするよりも見放されたような寂しい思いとなることがある。
「強いから大丈夫」よりも「がんばっているね」と言ってもらったほうがいい。
そんなことを考えるのも、私の甘えなのかもしれない。
[PR]
by idun-2006 | 2014-09-07 21:48 | 心と身体のストレッチ

アンチ介護

見た目というものは人それぞれで、若く見える、老けて見えるなどといった差はあるものの、50代くらいまではまあそこそこ年相応にみられるものではないだろうか。
健康面や運動習慣など個人差があるものの、まだ動ける世代のため同世代で比較するとあまり差を感じることはない。

ところが80代ともなると、生活習慣やおかれた環境の差によって天地の差がでてくるようだ。

普通に生活している人もいればデイサービスなどを利用するなど、人の助けが必要になった人もいる。
中には施設に入居される方もいるし、生涯を全うされた方もいる。

今回ご紹介したいのは、とてもお元気になられた80代の女性。

私との出会いは7年ほど前になる。
当時は膝に痛みを抱えていて、いつ動けなくなるか不安を常に抱えていた。
旅行などに出かけていつもより歩いてしまうと、膝が炎症して動けなくなり家に籠る。
そんな状態を繰り返していた。

「せっかくスポーツクラブに入会して若い人達に交じって楽しく運動していたのに、膝が痛くなったら楽しみがなくなっちゃう。」

「いい年してやり過ぎよって、仲良くなった方から言われちゃうの。」

スタジオの中で私は最高齢とおっしゃりながら、無理せず適当にやってるのと笑顔を向けられていた。
ところが、セッションも数回続いたところで表情が曇った。
理由をうかがうと、
「回りのみんなから、パーソナルなんかにお金かけてもったいない。 そんなに鍛えてどうするのって言われちゃうの。 膝が痛いからというと、それなら病院に行かなきゃだめよとか、スタジオもやり過ぎだとかいろいろ言われちゃうの。 なんだんか面倒で退会したくなっちゃう。」
と悩まれていた。

「人は人、身体はご自分の為にあるのだから、これからもお元気で毎日を過ごされるように身体を整えているんです。 病院にお金を費やすより、今ここで身体を整えて、身体の使い方のコツを身に着けた方がよほど賢い投資をしていることになるんです。 ご自分の目的に集中しましょう。 人の批評に感化されてご自分の楽しみを自ら諦めないでください。」
と励ましつつ、心身の調整に時間を費やしていたのだ。

久しぶりにお目にかかると、とても明るい表情でハツラツとされていらっしゃる。

「おかげ様でとても調子がいいんですよ。 あの時じょぼくれていたのに先生に治してもらったおかげてこうして元気に楽しく通えるんです。 毎日スタジオを一つだけ受けに来てるんです。 少しずつできるようになるのが嬉しくて、地方にいる息子に”こういうのができるようになったよ”って電話するんですよ。」

息子さんにも無理はしないようにと釘を刺され、やり過ぎないように注意しつつ社交の場を身体を動かして新しい動きを身に着けるスタジオにむけられるという、とても前向きで健全な選択をなさっている。

お顔の表情から以前の不安は一掃されて、まだまだお元気で過ごされる様子が窺われる。

運動はアンチエイジングのみならずアンチ介護。
動けるうちから習慣づけていることが介護予防につながるのだということを証明してくれた80代だった。
[PR]
by idun-2006 | 2014-06-22 18:11 | 心と身体のストレッチ

「環境」

子供が成長する過程で、真っ直ぐに、健やかに成長してほしいという願うのは、どこの親も同じこと。 そのために、子供を取り巻く環境に気を配り、親は奔走するのです。
生体的にはとっくに成長期間を終えた私たちでも、「環境」は重要なファクターとなります。
でも、目の前のことをこなすに精一杯だし、「環境」なんて自分でどうにかなるものでもないと思っています。

以前は普通のOLだった私がカラダのことに携わるようになったのは、不調だった自分のカラダが改善された経験が動機となっています。
不調だったころの私のカラダは、かなり頑なでした。 満足な運動もできないくらい弱っていたカラダを変えるには、環境を換えなければ駄目だと、本能的に感じていました。 当時、時間が不規則で忙しい仕事に就いていたので、そのままの環境でカラダを換えていくのは無理だと判断した私は、思い切って会社を辞めました。
病院での治療すれば治るような状態ではなかったので、カラダを切り替えるには運動するしかないと判断し、スポーツクラブへ毎日通うことが私の仕事と自分に言い聞かせていました。
少しずつ体力を取り戻す中で 故松本義光先生に出会い、彼とのセッションの中から自分が不調に陥った原因を理解し、改善への糸口を見つけることができたのです。
一定の期間は自分の環境を「カラダ」のことに集中しようときめました。
松本先生関連のセッションにできるだけ参加することで身体を知り、自分の実生活の中でもできるだけ実践し、薦められた漢方も服用し、身体にとって必要と思われることはできるだけ取り入れました。
その結果、抱えていた問題は改善へと切り替えることができたのです。
現在では当時ほど運動や身体のケアができませんが、最悪だった頃の状態に戻ることはありません。

誰もが仕事を辞めてカラダのことに集中しなければ、不調を改善させることはできないわけではありません。
不調の度合いによっても違いはあるし、どこに目標を設定するかでも設定すべき環境に違いが出てきます。
そうはいっても、ある程度ウエイトを置いていかないと、変われるものではありません。

今までの自分と切り替えたいのであれば、今までと同じことを同じようにやっていても変わりません。
自分がどうなりたいのか、その目標を明確にして、自分を取り巻く環境をできるだけ目標に近づきやすい状況にしていくことも、目標を達成させるための秘訣となります。
[PR]
by idun-2006 | 2013-05-14 14:48 | 心と身体のストレッチ

一杯のお味噌汁

少人数の家族生活の中で食生活のバランスを保つのは、なかなか難しいものがあります。
働いていたりすると食事の支度が億劫になったり、御惣菜ですませうことも多くなるし、煮物とかつくっても何日も食べ続けることになるとか、食材を腐らせてしまう失敗も何度となく繰り返してしまう。

気が付けば、とってもいい加減な食生活になっている。

以前に栄養士の資格を持っている料理上手な方と知り合いになり、彼女の作るお弁当をごちそうになったことがあります。 ちょっとしたお昼のつもりが3段重がでてきて腰をぬかしたのですが、中身の凄さに更にびっくり。
どのおかずもオリジナル工夫が施され、もちろん、味も絶品。
身体中がとろけてしまう程の、深い愛情が伝わってくる心温まるお弁当だったことを、今だに忘れられません。

昨夜、ふいにお邪魔したお宅で一椀のお味噌汁をご馳走になったのですが、これも身体に染みわたる一椀だったのです。
以前は必ず晩の食卓にお味噌汁を出していたのですが、今一番作らなくなったのがお味噌汁。
固定観念で、”お味噌汁を作るには、出汁を取って、食材を煮込んで、お味噌を解く” 工程した思い浮かばず、一杯分を作るというのが更に面倒となってしまうのです。

昨晩いただいたお味噌汁は、そんな固定観念を覆し、至って簡単、でも身体に優しい一椀でした。

用意してくださった方の心の温かみと、美味しい一椀のお味噌汁に感謝・感激!
身体がほっこりして、久しぶりに深い睡眠をとることができました。

**簡単お味噌汁レシピ** (教えてもらった作り方)
お椀にお湯を注ぎ、花鰹を一掴み入れて、お味噌を小さじで加減をしながら入れて解く。
花鰹もお味噌もお椀の大きさによって分量が変わるので、加減をみながら量を調節します。
具材は、乾燥わかめなど、残りものを入れるもよし。

これだで、簡単に美味しいお味噌汁を味わえます。
ご馳走になったお宅では蓋付きのお椀で出していただきました。
蓋付きで少し置いた方が馴染むようです。

さて、早速今夜の一品に作ってみましょう!
[PR]
by idun-2006 | 2013-04-16 12:38 | 心と身体のストレッチ

備えあれば

3・11が起った直後、私たちの防災意識は一気に高まりました。
直接的な被害はなくても、実際に電気が使えなくなって不便な思いをしました。
被害の大きかったところの様子をみて、防災への備えを改めて顧みて様々なグッズを購入してましたね。
あれから2年の歳月が過ぎると、意識はそこそれ薄れていたりして。

そんな自分を戒めるようなことが先週末起きてしまいました。

なんと我が家が空き巣に狙われたのでございます。
一応防犯対応住宅ではあったので未遂でことは済んだのですが、ガラスを一枚割られていて、そのガラスを目にした途端、身体が震えあがってしまいました。

この事象に遭遇したことで、警官、捜査官から話を聞いたり、先ほどは大家さんと管理会社の方も現状確認に来られたりで、かなりの情報を得られたと同時に、自分の防犯意識の薄さに改めて反省。

プロの犯罪者は一瞬で窓ガラスを壊して侵入するのだそうです。ガラスは防犯ガラスでも開けられてしまうそうです。 普通のガラスは本当に一発。 防犯だと2,3回叩いて穴を開けて鍵を開けてしまうらしい。
「鉤を開けるまでに2分以上かかる場合は、気付かれるリスクが高まるので諦める」
と聞いたのですが、侵入までは一瞬で、家の中に入ってから金目のものを物色するのが2分なのだそうです。
最近はセコムなどの警備会社を利用しているところが多く、異常を察知してかけつけるまで5分以内に到着するので、犯行は2分を目安にするのが一般的と言ってました。

防犯対策としては、防犯用ペアガラス(内一枚は曇りガラスが良)、ダブルロック、人感センサー、防犯カメラの設置など。 防犯カメラのダミーは、プロの目からみたら一発で分かってしまうのだそうです。
そのお宅の状況に応じて、何を選択すれば得策なのかが変わってくると思いますが、まずは直ぐにでもできることはしとかないと駄目ですよね。

防災にしても防犯にしても、どこまで備えればいいのか。
考えだすときりがなくなり、時に自ら身動きできなくなってしまっている方をお見かけします。
何事もほどほどであるべきだけれど、無防備というのが一番いけません。

この話を数人のお客様にしたのですが、早速ダブルロックにできないか管理会社に掛け合ってみるとおっしゃった方もいます。

皆さんもご自身の防災、防犯対策を見直してみてください。

備えあれば憂いなし
[PR]
by idun-2006 | 2013-04-09 15:11 | 心と身体のストレッチ

常識・非常識

「常識」というものは、時代とともにその価値観が変わってしまうもの。
だから世代ごとに 「今の若いもんは」 とか 「古臭い・時代錯誤」 などといわれてしまう。

私はリタイア世代の方達とのお話が好きです。
人生を積み重ねていらした中でのお話は、なにかと参考となることが多いし、違う視点から見るお話は新たな気づきにもなることがあります。

☆キャッシュディスペンサー
お金を引き出したとき、キャッシュカード→お金の順番ででてくるけど、カードをお財布のカードポケットに入れるのにドギマギしていると、「早くお金を取りなさい!」とけたたましい警告音が鳴り出します。 それが分かっていて焦るから、余計に手元が不安定になってしまう。

「最近は警告音が鳴り出すのが早いんですよ。 年寄はテキパキできないから間に合わない。 大きな音が鳴り出すから心臓がドキドキしてしまう。 少しやり過ぎと思うのは私だけなのだろうか?」

私もいつも感じていますと速攻に答えました。

パスモのチャージも同じです。
機器によって多少の違いがありますが、やはりけたたましい音がするのがあります。
警告音とともにカードが出てくるタイプは、カードが出るのを待ち構えて、できるだけ音が鳴らないように焦ります。

穏やかな音にすると気が付かない方もいたりするので、ああいう音にするのも分かりますが、”癇に障る”というご意見に納得してしまいます。


☆バギー
小さなお子さんを連れての外出は大変なのは分かります。
近頃目につくのは、混んだ電車でもバギーを広げたまま突っ込んでくるお母さんがほとんど。
こないだは、閉まりかけた電車の扉にバギーを突っ込んで飛び乗ってきたお母さんを目撃。
車掌さんが慌てて扉を開けてくれたからいいものの、バギーで閉まりかけた扉を阻止しようとは、かなり強引。
しかもバギーの中の赤ちゃんを見ると、まだ数か月しか経っていない乳飲み子。
あまりにも乱暴すぎるし、無責任すぎると思うのですが。

ある時は、4歳くらいと2歳くらいの女の子を連れたお母さんが、優先席を3人分陣取り、自分の前(扉がわ)にバギーを広げていて、かなり迷惑。
電車の中はそれなりに混んでいるのにお母さんはお構いなし。
初めは2歳児にスマートフォンの画像を見せてほったらかしでお姉ちゃんの方との話に夢中。
下の子が飽きてスマートフォンをほったらかすと、今度はお母さんがアプリに夢中。
下の子は大人一人分のスペースで余裕があるから、ひっくり返って窓を蹴っ飛ばしてもお母さんは知らん顔。
そのうち隣に座っているおじさんを足蹴にし出しても、やっぱいお母さんは知らん顔。

「ああいうカートを持って乗り込むのなら、車いすスペースなどの椅子のないスペースに置くべき。 子供は基本、立たせるべき。 そういう教育をしないから、小学生でも大人をかき分けて椅子取りゲームのように座りたがるし、大学生が混んだ電車の中でも優先席に座っていられる人間にしてしまう。」

私の母もよく言っていましたが、小さな子供を連れて外出するなら、時間に余裕を持ってなるべく空いた電車に乗るべき。各駅停車にするくらい、周りに迷惑がかからないように気遣うべき。子供だって混んだ電車はストレスになって可哀そう。」

私も母から子供は立っていなさいと教育されてきたので、上記のご意見はもの凄く納得してしまいます。

賛否両論、いろいろあるのは分かりますが、なんでもマニュアル化するから臨機応変な対応ができなくなっているし、面倒を省きなんでも機械仕掛けにするから人とのコミュニケーションが下手くそになってきている。
自分を振り返ることができず、自分を最優先にして物事を捉えている人が増えてきている気がします。

そんな中、自分と同じ尺度を持った人との交流は、心を穏やかにしてもらえます。
[PR]
by idun-2006 | 2013-03-26 11:09 | 心と身体のストレッチ

願望成就

人って、本気で願うことは必ず成し遂げられるすごい能力を持っている。

では、なんで願いが叶わないのだろう。

自分の願いが「欲」にかられた内容だったり、その願いが叶ったとしても、人格の向上が得られない内容だったり、願い事が叶う前に学ばなければならないテーマがある場合、思い通りに願望成就とはならないことが多い。

その願いが単なる願望である場合。やはり成就しない。
自分では必死に「願いが叶う!」と強く願っているつもりでも、心の奥底の本心では、「無理かも」とか「叶ったらいいな」なんて思いがよぎる程度の願望は、なかなか成就しない。

本気で願うということは、心の奥の隅っこを探しても、不安や迷いはない。

願いを叶えるために、今〇〇をする。
「でも」とか「だって」などの言葉は出てこない。 見事に完結している。

清流のような清らかで穏やかな心の状態の中から「願い」に思いを向けてみる。
すると、自分に何が足りないのか、なにをするべきなのかが見えてくる。
[PR]
by idun-2006 | 2013-01-04 18:50 | 心と身体のストレッチ

自分のカラダ

長年 人間をやっていると、あちこちと身体に不調を感じることが多くなってきます。

希に丈夫なカラダを維持していて、不調は一切感じていないという、なんとも幸運な方もいます。

膝の痛みも炎症を伴うと、膝関節症という立派な疾患名がついてきます。
腰痛も椎骨や椎間板に支障をきたすと、椎間板ヘルニアとか分離症、すべり症などの傷病名が記されます。

膝の痛み、腰の痛み、五十肩などの肩の痛み。
慢性的な痛みには多少の波がありますが、日常的に動く度に痛みと向き合っていると、時には自分のカラダに腹が立ってくることもあります。

こういう心境は、整形外科の分野であろうと内科的疾患であろうと、同じように自分のカラダと向き合うことになります。

もっとカラダが快調だったら頑張れるのに。
スッキリしないカラダに嫌気がさしてくる。
なんでもっとシャッキっとしないんだろう。
カラダに良かれと思っていろいろやっているのに、ちっとも効いている気がしない。

カラダに不調を感じるほどに、不平不満が湧きあがってきます。

もっと丈夫なカラダだったよかったのに。

でも、今のカラダにしたのは、誰のせいでもない、自分自身がそうしたのです。
先天的な疾患や事故などによる故障がない限り、自分の考え方の癖、動作の癖、姿勢、嗜好が今の自分を作ってきたのです。
もし現在不調を感じているのなら、どこかでバランスを乱すきっかけに遭遇して、健全なカラダを維持することができなくなったはずです。

自分自身に原因がある。
でも、自分を責めては可哀そう。
だって、命を絶えさせずに生きてきたんだから。
そういう意味では頑張って生きてきたんです。

いろいろあったけど、一生懸命生きてきたよね。 偉いよね。

あまりにも当たり前のことだから、誰も褒めてくれません。
人に認めてもらいたくても、他の人だってほとんど自分と同じなんです。
だから、たまに自分で自分を褒めてあげます。

でも、いくら褒めても不調は変わりません。 
相も変わらず痛みと向き合ったままでは、気持ちが折れてしまいます。
バランスを取り戻すために積極的になることは大切です。
医師や施療家の助言に耳を傾けて、自分でも今までの生活習慣を変える努力をしなければなりません。
医者や施療家にお任せでは、治りません。

長い年月をかけて不調と向き合ってきたのなら、何かをしたことで直ぐには状態が変わらないかもしれない。
焦らず、くさらず、カラダの声を聴きながら、ゆっくりバランスを取っていく。

自分のカラダなんだから、自分でより良くしていきたい。

同じお金を使うなら、病院に費やすんじゃなく、楽しいことにお金を使っていきたいですよね。
[PR]
by idun-2006 | 2012-11-21 11:10 | 心と身体のストレッチ

コミュニケーション

身近なお付き合いの中で、お土産のことについて話題になりました。

夏休みを利用して、旅行をされた方がお土産を買ってきてくださいます。
会社で所属するチームメンバーがそこそこの人数になると、毎日のようにお菓子が配られたりします。
普段一緒に仕事をしている仲間からいただきっぱなしというのも気が引けます。
自分がどこかへ出かけたときに、お返しをしようと思うのが普通なのではないかという話。

ところが、中にはとてもドライに捉える子もいて、
「勝手に好きで買ってきているんだから、気にすることはない。」
と言い切ってしまう人もいます。
職場の環境にもよるのかもしれませんが、同僚の皆がお土産を配る環境の中、自分だけもらうだけで知らん顔というのもコミュニケーションとしてどうなのか?と思ってしまいます。
(世代によるギャップなのか?)

「こんな習慣があって迷惑」 と思いながら配るくらいなら、「気にしない」 とドライに捉えて無視してもいいかもしれない。
ただし、人との付き合い方は限定されてしまうと思います。


子育て中のお母さんの動向にも疑問を抱くことがあります。
電車の中で、小さな子供連れのお母さんを見かけますが、ほぼ全員が携帯を手にしています。
今ではスマホなのかもしれませんが、子供が母親の注意を引きたくて一生懸命話かけていても、お母さんは携帯の画面から目を離さずに生返事をしています。

近所の2歳児くらいの子供がいるお宅では、毎日子供の絶叫する泣き声が聞こえてきます。
毎朝起きぬけに絶叫。 普段の昼間は保育所に預けるので静かですが、帰宅すると同時にまた絶叫。
お休みの日は昼夜を問わず絶叫です。
単なる泣き声を超えて、絶叫です。

はじめは具合でも悪いのか、暑いからかと思っていたのですが、いつも母親のあやす声が聞こえてきません。
そこで思ってしまったのが、もしかしたら仕事をしているお母さんのこと、自宅に帰って子供との時間を持つよりも、携帯やパソコンに夢中になっているのかもしれないという想像です。
男の子のお子さんは、まだ言葉を話さないので、親の注意を引きたくて泣き叫んでいる気がしてなりません。

昔のお母さんには自分の時間はありませんでした。
パソコンも携帯もなく、もう一昔前のお母さんにはテレビもありません。
それだけに、子供と向き合う時間がたっぷりあったのだと思います。
どこまでが過保護で、どこまでは手を出さなければならないのか、試行錯誤の子育てで、自分の子供教育していました。
たとえ仕事を持っているお母さんでも、帰宅してからの子供との時間を大切にしていました。
すくなくとも起きている子供の前で携帯に夢中になることは考えられないことだったのではないでしょうか。


大学で英語を教えているアメリカ人の教授からのお話で、自分の学生に質問を問いかけると、皆そっぽを向いて「俺は知らない」 という無表情な顔をしているのだそうです。
「質問しているのは僕。 僕の方を見なさい。」 と注意を促すと、とりあえず顔を向けるけれど、やはり無表情、無関心、無反応なのだそうです。
そこで私が冗談で、「今の学生くんたちはモバイル慣れしているから、携帯みたいなモバイルじゃないと反応しないのかも。 生のコミュニケーションができなくなっているのでは?」
というと、 「そっか、じゃ僕がモバイルフォンの恰好をしてくれば、彼らは反応するかもしれないね。」 
と互いに大笑いしてしまいました。

いまでは当たり前の生活習慣となったパソコンや携帯、スマホからの情報収集やゲーム遊び。
でも、どこかで歯止めをかけないと、崩壊してしまうことになりかねません。
体力が低下したご年配になると、その必要性を身近に感じるのです。
[PR]
by idun-2006 | 2012-09-16 15:55 | 心と身体のストレッチ

*身体のよりどころ・心のよりどころ* そんな小部屋を覗いてください


by idun-2006
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30