心と身体のよりどころ

idun2006.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:心( 279 )

何を求めるか

koccoさん、まず、人の側面についてのお話。

人の人生って、千差万別です。

私が松本先生(主人)を失った悲しみは、私にしか分からないものと思ってます。
だから、他の人に共感してもらいたいとか、私の悲しみを理解してもらいたいなどといった期待はありません。
なぜなら、私と松本先生の過ごして時間、交わしてきた言葉、共に歩んできた時空間を元に沸き立つ感情だから、他の人にわかるはずがないのです。

逆の立場からすると、若くして連れ合いに先立たれ一人になってしまった人の悲しみを理解してあげたいとします。
悲しいのは当然のこと。 心にぽっかりと穴が開いたように感じているかもしれません。
でも、その人にとって、何が一番辛いことなのか、他人が計り知ることはできません。
一人になってしまったことが悲しいのか、不安なのか、それとも他に心を占めることがあるのか。
もしかしたら、今後の生活の不安を抱えているかもしれない。
そういうところまで踏み込んでいくということは、その人の人生を変わりに背負い込む覚悟があってのことだと思います。

たとえ私が相手に対して “私が何を感じて何を思っているのか、私のことを分かってほしい。” と願ったとしても、私の望み通りに理解してくれる人などいるわけがないのです。
相手が自分と近い感性をもっていれば、私の感情を察してもらうことはできるかもしれない。
察してもらえればありがたい。 それ以上もなければそれ以下の感情もありません。

大切なのは、その人が笑顔で自分の人生を歩めるようになるために、何をしてあげられるか察してあげることです。

たまに、
「私も同じ経験をしたから、その辛さはよく分かる。 同情めいた慰めの言葉は気休めにしかならないのが分かるから、私は何も言わないわよ。」
という人がいますが、 それは少し違うと思います。

確かに同情してもらっても自分が救われるわけではありません。
でも、悲しいのは悲しいんです。
慰めの言葉は <一言> 添えるべきだと思います。
その上で、相手にとって何が一番必要なのか、

勇気付ける話題を提供するのか、黙って酒でも酌み交わすのか

相手の心情を察して気遣ってあげるのが、人として行うべきことだと思うのです。


人を好きになるときって、「好きにならなきゃ」って構えませんよね。
なんだか気づいたら好きになっちゃった。

愛することも一緒なんです。
「愛さなきゃ」 なんて構えるものではない。
気づいたら、「これが愛ってものなんだな。」 って感覚です。

子供はどんな不貞をはたらいても、結局親は手を差し伸べますね。
これが無償の愛なんだと思います。


必要なときに必要な言葉をかけてあげられる自分にすること。
気遣いができる自分でいること。
素直に愛を感じられる自分でいること。

そういう自分を維持できるように、またはバージョンアップしていくように求めていれば、日常の細々したことから学んでいくことができるのが人生だと思うんです。

では、何を元に学べばいいのか。

それが、真理です。 

真理なんていうと宗教と直結して捉えてしまう人がいますが、宗教は真理を学ぶための一つの道しるべです。
宗教でなくても真理は学べます。

人としての真理を学ぶことを忘れてしまったのが、現代社会に生きる私たち。

真理はワークと一緒です。

とっかかりは文字で学習しますが、学習したら後は実践を通して実感していくのみ。

考えて物事を捉えるのではなく、感じることが大切。
感じれるまで実践していく根気が必要です。

なんかまとまりつかなくなってしまいましたが、答えになってるかな008.gif
[PR]
by idun-2006 | 2009-02-15 00:31 |

ありがとう

あ・り・が・と・う

ありがとうございます!

最近、この言葉が私の中で 大きく響きわたり、身体の中に浸透していきます。

朝のTV番組の「朝ズバ」の中で、いろんな方の「ありがとう」の気持ちを紹介するコーナーがあります。
今朝も、いろんな 「ありがとう」 にふれることができました。

お母さんから子供への ありがとう。
子供からお母さんへ ありがとう。

人と人の触れ合いの中から、たくさんの心温まる 「ありがとう」 が、日本中の、いや世界中のいたるところで発信されています。

私も毎日、「ありがとうございます」 を発しています。

目覚めることができて、ありがとうございます。
この地に住まわせていただいけて、ありがとうございます。
今日も私の心臓が鼓動を刻んでくれて、ありがとうございます。
まだまだメンテナンスがへたくそな私ですが、正常に動いてくださる私の肉体に、ありがとうございます。

本日最終回を迎えた「金八先生 第8シリーズ」の中でも、たくさん 「ありがとう」 の言葉がでてきました。

なんて素晴らしい響きなんでしょう。

この美しい響きの言葉で、私を覆いつくせるようにしたい。

先日お話したように、本日は大好きなM先生との初デートでした。
とても不思議な夢のような時間でした。
大勢の前でご指導してくださるいつものM先生とまったく同じご様子を拝見していて、何の構えも気負いもなく、どんなときも真っ直ぐに人と接していらっしゃるのが感じられました。

貴重なお話をたくさん伺い、どれだけ自分の中で捉えることができたのか自信はありません。
でも、普段なんとなく自分自身でも感じていたことの確認もさせていただくことができました。

自分にとって得意なことやスムーズにできることは、苦悩を伴わないので実行しやすいことです。
不得手なことは今の自分にとってスムーズにできないことなので、ギリギリの境地に至らないと、つい後回しにしてしまいます。

そんな私の課題を、ものの見事に指摘していただきました。

私に足りていないことがたくさんあります。
本日ご指摘いただいた課題を全て把握できているのか、いささか心配ではありますが、一つ一つ、先生のお話の中で心に留まっていることを実践していこうと思っています。

そうやって、毎日コツコツと積み上げていれば、必ず望んでいることが現実になる。
そして、その毎日務め上げてきたことに対するご褒美が、M先生の次回のデートにつながるのだと思っています。

先生とご一緒する時間は、私にとってかけがえのない楽しくて、美しい一時です。
愛する人と過ごす時間とは種類が違う、重要な時間です。

M先生、長い時間 お付き合いくださいまして、「ありがとうございます」。

本日も、ご指導を ありがとうございました!
[PR]
by idun-2006 | 2008-03-20 22:33 |

U先生との再会

日付が変わって、昨日になりますが、U先生のところへご挨拶へ伺うことができました。

テラスを埋め尽くすほどの、たくさんのお花を贈ってくださったり、お忙しい中何度も主人の見舞いに駆けつけてくださったU先生。

いの一番にご挨拶へ伺わなければならないところ、もう半年近く経ってしまいました。

早くはやくと気持ちは焦っていたのですが、やっと果たすことができました。

久しぶりにお目にかかれる嬉しさ一身で、先生のスタジオへむかいましたが、まもなく着くとなったところで、突然、主人を思い出し感慨にふけてしまいました。

しばらくU先生のスタジオで仕事をさせていただいていたので、主人ともよく通った路線でした。
U先生のスタジオは、たくさんの思い出があります。
事前にはなーんにも感じていなかったのに、不意を付かれたように突然こみ上げてきた哀愁。

先生達のお顔を拝見したとたん、涙が出てしまったらどうしよう。。。。

結局、お元気そうなご夫妻のお顔をみたら、そんな感慨はすっとんでしまいました。

U先生ご夫妻は、主人のクライアントさんでした。
主人もU先生には特別な思いを抱いていたように思います。
私も、U先生ご夫妻のこと、大好きなんです。
だから、今回の再会はとっても嬉しかった。

「松本先生が居なくなったなんて、まだ信じられません。」 とU先生はおっしゃいます。
U先生ご夫妻と交流の深い海外のダンサー、マイケルも絶句していたとか。
世界チャンピオンのスラビックは、涙を流してくれたといいます。
もともとひ弱な体形の人が病気で亡くなったのと聞いても、どこか納得できるものがある。
でも、松本先生のような外見が強靭な人が突如亡くなったと聞いても、ただただ信じられないと、マイケルは絶句されていたそうです。

私も、現実を受け止めている部分と、まだ信じられずにいる部分と交差しています。
主人が目の前にいないだけで、ほかはなにも変わらず時が流れています。
とっても不思議。
なんで居ないんだろうって、思うことが多くなりました。

主人との思い出の場所とか、特別にそういうところがあるわけではありません。
格別に避けたい場所とかもないのですが、あまり出かけなかった私達なもので、唯一一緒に行ったところなどは、足が遠のきます。
なんとなく、一緒に過ごした日々を身近に感じてしまい、心にずっしりとのしかかるものを感じてしまうので、無意識に避けてしまいます。

最近、そういう場所や主人を思い起こす物事で避けていたものを、少しずつクリアして新しい思い出に塗り替えるように、新たな行動を起こさせていただいている気がします。

話はかわりますが、
今夜、ここの家に来て初めて夜空をシミジミと眺めました。
半月のお月様がとてもきれいでした。
視力の弱い私ですが、月の隣にひときわ輝く星も見つけました。
ときたま星と月の下を通り抜ける飛行機の点滅が見えます。

ソファにゆったりと身を沈めながら、ずっと月を眺めてました。
刻刻と移動していく月。

ふと気づくと、「月が移動していく」 と捉えている。
これって、自分を中心に考えるから、月の方が移動していると思ってしまう。
実際は、地球が自転しているから、月の見える位置が変わってくる。
自分中心=自己中心的見方をしている。。。。

って気づいて愕然としました。

自分の思い、自分の命が地球と一体になる。
そんな境地に至るまで、まだまだ時間がかかりそうです。
[PR]
by idun-2006 | 2007-08-22 01:01 |

ノートから一説

*** 温もり ****

生を受け 生きているもの全てに温もりがある

   お父さんの温もり
   お母さんの温もり
   主人の温もり
   子供の温もり
   友人の温もり
   ペットの温もり

   愛しい温もり
   心がキュンとなる温もり
   安心する温もり
   大きく包み込んでくれる温もり
   優しい温もり

不思議な温もり

=============================

主人の病気が発覚し、ご飯が食べられなくなって痩せてきて、痛みも激しくなってきたものの、
まだ動けていたときの一時。

痛みが遠のいて、眠っていた主人の横で感じた主人の温もり。

この人が居なくなっちゃったらどうしよう。
この時間がずっと続いて欲しい。
この温もりにずっと触れていたい。

主人の温もりは、優しくて大きく包んでくれる温もり。
そこには主人の確かな温もりがありました。
毎日仕事、主人の看病、家事、忙しく駆け回っていた私でしたが、ふと主人の温もりに触れたときに、心に沁みる安堵感を抱きました。
病気が治ったわけではないのに、むしろ最悪のシナリオが頭をよぎるのに、主人の温もりが私の心を温めてくれました。

どんな形でもいい、たとえ以前のように動けなくても、こうやって側にいてくれればそれでいい。

こういった温もりを感じられる自分に、感謝の気持ちがわいてきます。

主人の側には、光冠が添い寝をするように横たわってました。
スヤスヤ眠る光冠からも、優しい温もりを感じます。

眠れない夜に、何度も助けてもらった光冠の温もりにも感謝です。

この温もりに触れたとき、自我の思いは消えて 感謝の気持ちでいっぱいになります。

今、確実のこの温もりに触れる時間がある。
そして、この温もりに感謝できる自分がいる。
キツイ、辛い、怖い、憎い、不公平、そういった思いは消え去り、温もりに対する感謝のみが心を包み込んでくれました。
そして、また頑張ろう という希望を与えてくれました。
[PR]
by idun-2006 | 2007-07-14 11:31 |

パンドラの箱

今、私の手元に1冊のノートがあります。

主人との闘病生活を綴ったノート。
前半部分は、看病する私の日記帳となっており、後半部分は身体調律法の予習ノートになっています。

主人を亡くして以来、落ち込んで引き篭りにならないように自分を叱咤し続け、自分なりの防御策を設けて対処しています。

その防御策とは、主人とのことを一切封じてパンドラの箱として横に納めています。
この箱を捨てる事はできない。
でも、開けるのもイヤ。
今開けてしまうと、主人のことが一気に押し寄せてきて、つぶされてしまう。
だから、近くに大切に置いてます。

この箱の存在を、一時も忘れたことはありません。
でも、自ら見にいく事はありません。
目を向けることもありません。
この箱を心の支えにして、日々過ごしています。

今目の前にあることを、全力で対処する。
余計な事を考えないように、集中して立ち向かうように。。。
でも、ふとしたときにフラッシュバックするように、主人との一コマが甦ります。
一瞬、いたたまれなくなります。
主人を亡くした直後のように、嗚咽でむせてしまう。
悲しみの中から抜け出せなくなりそうになると、自分の反応を冷静に振り返るようになりました。
この悲しみはどこから来ているのか。
   家族を失った悲しみ?
   一人になって寂しいから?
   これからの生活に不安を抱くから?

先日、このパンドラの箱から一つの過去が出てきました。
晩年点滴が唯一の栄養源と水分補給だったのに、ラインが取りにくくなる頃には、きつくて最後まで入れられなくなりました。
やっとラインを取って液を落とし始めてまだ10分くらいしか経ってないのに、外してと懇願されます。
私はいろんな言い訳をして時間稼ぎをします。
どうして分かってくれないの?って、半分涙声で懇願していた主人。

何故、直ぐに外してあげなかったんだろう。 
ごめんね。 苦しかったよね。 

後悔の念で、いたたまれなくなります。
しばらく胸が押しつぶされそうに苦しくて、涙が溢れてきます。

落ち着いてくると、冷静に自分の思いを正していきます。
あの時直ぐに外していたら、きっともう少し点滴を入れていれば・・・・、って後悔するでしょう。
どっちにしても後悔する。
これは、人間の「都合の思い」なんだ。
この思いに捉われていても正解はない。
大切なことは、精一杯力を注いで対処したかどうか。
一生懸命にやったことに対しての結果ならば、それでいい。
私にできることは全てやりつくした。
今回ばかりは そう言いきることができる。

ならば、今大切なことは、残された私が悲しみ暮れることではないはず。
精一杯自分の命を輝かせていることが、なによりも主人が喜ぶことのはず。
そういう私の姿を見て、やっと主人は苦しみから脱して、心から安心して天国に安住するのだと思います。

だから、今日の悲しみはおしまいにします。

パンドラが全開してしまったら、中からでてくるものが大きすぎで対処できなくなってしまいます。
こうやって一筋ずつ出てきてくれるから、翻弄されることなく対処できています。
出てきた思いに捉われることなく、お仕舞いにする。

ありがたい。

明日はお盆でお迎えの日です。
私には主人の姿は見えないけれど、きっと久しぶりに会いにきてくれると思います。
主人の好きだったものを並べて、迎えてあげましょ。
[PR]
by idun-2006 | 2007-07-12 22:44 |

感謝の心

「ありがたい」 自分の心の中の隅っこを覗いてみても、やはり「ありがたい」 という感謝の気持ちしかない。

なにについて?

それは、まず 和童塾、調律の会、スクールに参加してくださる方達への感謝。
これらは松本先生から受け継いで行っていることです。
進行、内容は松本先生の時と赴きが変わってます。
先生と同じ事をするのは無理ですから。
でも、私からお伝えしていることは、松本先生が伝えてらしたことの延長線上にあることです。
先生から、「それでいい、その理解でやっていけばいい。」 と言っていただけたことを、
私という媒体を通して皆さんへお伝えしている。

ここはちょっとした落とし穴なんです。
人間って一生懸命やっているうちに周りが見えなくなってどこかで脱線してしまう事があります。
人前にたって何かを行う立場になると、自分が特別な存在になったと勘違いしてしまう事が多々あります。
特に、「先生」と呼ばれる立場になると、陥りやすくなってしまいます。
勿論、本当に素晴らしい「先生」は、たくさんいらっしゃいます。
私も、私という媒体を通して物事を伝える立場になり、先生と呼んでいただけることがあります。
たまにそんな自分自身をチェックしてみます。
おごり高ぶりはないか。
今のところ、「自分が」というたぐいの感情はありません。
むしろ、私という媒体になってしまっても、引き続き参加してくださる皆さんへ 合掌して頭をたれる感謝の気持ちしかありません。
元々雄弁ではないので、こういう気持ちを上手に皆さんへ伝える事ができません。
でも、「お疲れ様」といって帰られるお一人お一人に、頭を下げて感謝しています。
そして、次回も何か新たな事に気づいていただけるように、全力で望もうと思うのです。

「私がやる」 のではない。
「私によって」 何かがかわるのではない。

私は一つの媒体に過ぎない。
皆さんは私を通って流れてくるものをキャッチされているに過ぎない。
ご自分で理解されて、ご自分自身で変化されています。

同じように、施療を受けに来てくださる方達にも感謝です。
私が治すのではない。 私の力で快方させるのではない。
これも同じです。
私という媒体を通して流れているものを、その方ご自身がキャッチされて恒常性が働いて改善されています。

キャッチしてくださることに、感謝です。

塾や会、スクールの場では、何かを得ようと真剣に向き合ってくださる皆さんのエネルギーと、正しい事を正しく伝えたいとう私のエネルギーの交流の場となります。
このエネルギーの還流がスムーズに流れたとき、いつもより増して、その場はエネルギッシュですがすがしい、素晴らしい場となっています。

「わぁ、凄い。」 と客観的に見ながら、「私、もっとちゃんとしなきゃ。」って冷静に反省したり。

でも、こういうエネルギーの交流があるから、困難に遭遇しても、立ち向かうエネルギーが沸いてくるのかもしれません。

ありがとうございます!
[PR]
by idun-2006 | 2007-07-02 10:29 |

愛する事


「愛」の形は人それぞれだと思う。

「愛する」 ことを語っていても、その度合いに温度差が生じるものです。
その温度差はどこからくるものなのか。
それは、それぞれの意識がどこにあるか、どのレベルにいるかが問題なのだと思います。

私は主人とよく 「愛」 について語り合ったことがありました。
主人の愛は、ある意味無償の愛なのかもしれません。
自分からは何の要求もない。ただ自分と共有できる時間をたとえ一時でも作ってもらえれば、それだけで満足だと言ってました。
「裏切られたら?って思わないの?」 って聞いたら、
「自分が愛した人だから、信じている。 でも、もし他の誰かと会っていたとしても、自分を選んで自分のところへ来てくれた。それだけで嬉しい。」
それ以上の要求は、自我だし、束縛になる。
愛した相手がより成長していって欲しいし、また自分も成長し続けたいから、足を引っ張り合うようなことはしたくないというようなことを言ってました。

すごい愛ですよね。
私は正直こういう愛し方はできる自信がありません。
やはり、自分が愛した人が他の人と会っていることを承諾することはできません。
「誠実」 というものが備わっていない愛は、納得できません。
しかもその誠実さは、自分本位のこじ付け的なものではなくです。

自分がどういう思考をしているのか。
自分の愛のレベルに感応する人が、目の前に現れるものと言えると思ってます。

互いに向上し合える相手と出会いたい。
互いに思いあい、いたわりあい、支えあえる相手と一緒になりたい。
自分が描く形・レベルに似合う自分になりたい。
自分を高めていれば、その状態に合った相手と出会わせていただける。

できればイヤな思いはしたくありません。
でも、自分が向上する過程で必要と判断されたことであれば、
逃げるのではなく、受け止めて、克服して、
また一回り大きな自分になれるチャンスを無駄にしたくない。

私はずっと 「愛」 に対して臆病でした。
やっと巡り会えた相手には、問題がありました。
でも、本物の愛の力は、困難を乗り越える力を生み出してくれます。
ずっと願って、自分を高める事を怠らずにいれば、そういう愛にめぐり合わせてくれるのだと思います。
だから、恐れる必要はない。 と今は言えます。

主人に問題に巻き込まれてしまったけれど、
今は、主人と出会えたことに心より感謝しています。
[PR]
by idun-2006 | 2007-06-05 15:08 |

Love Letter to ...

今年3月になくなられた、鈴木ヒロミツさんの著書、「余命三ヵ月のラブレター」がテレビで紹介されていました。

主人の10日後に亡くなられていたんですね。
しかも、同じ肝臓癌。。。。

鈴木ヒロミツさんは、今年に入って病院の診察を受けて、「余命3ヶ月」と診断されたのだそうです。
絶望感と恐怖心の中、家族に言葉を残したいと、ラブレターと称して手記をのこされました。
そして、幻冬舎の記者のインタビューに答えた膨大なテープにも、ヒロミツさんの本音がのこされていました。

主人が残したものは、「ハートで感じるストレッチ」。

なにか鈴木ヒロミツさんと通じるものを感じてしまいます。

鈴木ヒロミツさんも、夜が怖かったそうです。
病人さんの眠れない夜。
私も経験があります。
底知れぬ恐怖心が襲ってきます。
ヒロミツさんのご家族は、恐怖で寝られないご主人を挟んで、息子さんと3人で川の字になって寝たそうです。
ヒロミツさんから出た 「充実」 という言葉に、私も救われた思いがしました。

主人もかなり前から、夜は寝られませんでした。
夜中、いや時には明け方までテレビをつけていたり、パソコンに向かっていたり。
晩年は部屋の明かりを消さないで、看病したくらい、暗くなるのが不安だったようです。

ヒロミツさんも、病院で死にたくないと思われていたそうです。
でも家では死ねないと教えられたと記されていました。
病状が急変し、救急車で病院へ運ばれ、翌日なくなられたそうです。

主人も病院では死にたくない、との意思を貫きました。
いや、貫きさせてあげました。
私達の場合、たまたま入院した病院が訪問看護をしてくださる病院だったので、
主治医が往診してくださり、ほぼ毎日看護士さんが点滴を打ちに来てくださり、
主人の望みを遂げてあげることができました。

鈴木ヒロミツさんの残された言葉一つ一つに、身につまされ、涙が溢れてきます。

どうしたら病人さんを夜の恐怖から救ってあげられるのでしょうか。
人それぞれでしょうが、大きなテーマですね。

ヒロミツさんの本、手にする事ができるかな。。。。
[PR]
by idun-2006 | 2007-05-14 11:46 |

崖っぷち 続き

天才達には、崖っぷちという感覚がはじめからないのかもしれません。
イヤ、突如そういった状況におかされても、彼らには崖の向こうに道がちゃんと見えてるんですね、きっと。

私の場合、崖の向こうには濃い霧に包まれて、ほんのうっすらと道が見え隠れしてます。

天才君達は、はっきりとその道が見えていて、なんの疑いもなくその道を信じて歩いていけるのだと思います。

私は恐れながら歩いているから、いつも石橋をたたき過ぎて崩しちゃいます。

これが天才と凡人の違いですね。

主人の場合、道はしっかりと見えていました。
でも、彼を取り巻く状況が普通の凡人以上に過酷な環境だったと思います。
特に側にいる私がうろたえている事が多かった。
いつも主人に嗜められてました。
「側にいる君が信じていなかったら道はつながらない。同じ気持ちで居てくれなきゃ。」

そんな状況でも、彼なりの世界観を世に知らしめる事ができた主人は、やはり天才の領域に達していたのだと思います。
自分は凡人だといつも言ってましたけれど。

主人の声が聞こえてきます。
「ねっ、僕の辛さがよく分かったでしょ。 
 僕の状況を考えたら今の君はよっぽど楽だよ。 ちょっと頑張ればいい。
 そのくらいできるでしょ 。」

・・・そのくらいできるでしょ。 よく言われていました。

う~ん、貴方がいた状況から比べれば確かに単純なのかもしれないけれど、
・・・・楽じゃないよ。

どれだけ自分が描いた道を信じれるか。 
今の私のテーマなのかもしれません。

何かつまずく状況に遭遇すると、
 心の中で主人を呼び続ける。 ←実際には声が届かない。
 誰かに思いをぶちまける。   ←聞かされた人はたまらない。
 ブログに書き綴る。       ←収拾がつかなくなる。
どれをとっても満足できずに、結局自己嫌悪に陥ってしまいます。

こういった状況になっているときは、自分の心の中がかなり乱れているので、冷静に捉えようと思っていてもなかなか難しい。
一晩寝て、すがすがしい朝、すっきりした頭で再び考えてみると、意外に冷静に判断できるようになっているものです。
そして、感情に流されて、思いをぶちまけなくってよかったとひとつ学習します。

心に留めていても仕方がないことは、さっさと受け流す。
そして、霧に包まれている道が自分の信じる道なのか、冷静に判断してみる。
そういった心の整理も、ときに必要なのだと思います。
[PR]
by idun-2006 | 2007-05-01 07:56 |

崖っぷち

現在の私は、崖っぷちにたたされているのかもしれない。

主人が亡くなり、一人ぼっちの生活を始める中、いろんな壁にぶつかる。
そのたびに主人が恋しく、二人で過ごした生活を懐かしむ。

おとといの夢の中に、主人が出てきてくれました。
不安におののく私を、優しく抱きしめてくれた。
ひと時の安堵感。
でも、目覚めるとそこは現実の世界。

今現在は崖っぷちだけれど、そのまま行き詰るか先へ進む道を見つけることができるかは自分次第。
自分の志次第で、この先の人生が天と地ほどかわってきます。

勇気をもって前進する。
自分が何をしたいのか、目的を明確にする。
そして、自分が目指した未来を信じて、全力で立ち向かう。

疑う思い、不安、挫折感など、マイナス思想が一切あってはならない。

たやすいことではないけれど、勇気と自信がなければ、先がつながらないと強く感じてます。
先につなげるための準備と努力は必要。
あとは、自分の持っているエネルギーをどれだけ集中して注げるかです。
[PR]
by idun-2006 | 2007-04-29 22:36 |

*身体のよりどころ・心のよりどころ* そんな小部屋を覗いてください


by idun-2006
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30