松本語録
ここのところ、少しずつ松本先生の映像などの資料整理作業に取り掛かっています。
とは言っても、かなりのスローペースですが。
作業をしていて気づくことがあります。
それは私の感情の変化。
昨年松本先生を亡くし、平静でいられたわけがありません。
でも、長いこと先生の病と向き合って、ずっと一緒に病と対していたので、ほぼ1年かけてある種の覚悟はさせられてました。
だから自分ではシャンとしているつもりだったんです。
悲しいけど大丈夫。
先生が残してくれたものを無駄にしないように形にする。
先生からバトンを渡された者としての使命を感じてます。
っが、やはり先生の映像や音声、文章、先生を身近に感じられるものに触れるのが辛かった。
仕事と割り切っているつもりでも、そんな感情は長続きせず、悲しみにのスイッチが入るのが怖くて、蓋を開けられずにいました。
無意識のうちに避けてしまう。
一種の防衛反応です。
この反応はつい最近まで続いてました。
誰かがいると、普通に松本先生のことを語れるし、映像を見て分析することもできます。
でも、1人のときにこの作業を行なうのは、私にとってとても危険な行為でした。
最近、先生の動画を少しずつ紐解いて編集してます。
かなり昔の映像から、病を発症して亡くなる2ヶ月前に撮った映像も改めて見てみました。
さすがに亡くなる直前の映像はきつい。
でも、先生に関する資料は全て内容が豊富で、私の中で二つのスイッチが入ります。
一つは先ほど触れた、悲しみのスイッチ。
もう一つは、学習のスイッチ。
最近は、学習のスイッチの方が勝ってきました。
映像の他に、「1000万人のカラダ革命」用に収録したインタビュー音声を入手しました。
これは松本先生の集大成とも言える話が収録されているはずなんです。
一応テープ起こしをしようと思ってますが、なにせ膨大なデータです。
かなり根気のいる作業です。
そして、また中身が濃い。
松本先生と寝食をともにし、年がら年中松本語録を耳にしていたわけですから、私の頭の中には、かなり松本語録が収録されているはずなんです。
しかーし、記憶力の悪い私の頭脳は、どこへ収納しているのか、あるいは削除されてしまっているのか、出力することができない。
そういえは、先生が亡くなる直前に、教えてもらったことが私の中から消えてしまっていると泣きついたことがありました。
そんな時、先生は
「大丈夫、ちゃんと潜在意識の中に入っているから、折に触れてでてくるよ。」
と慰めてくれました。
先生のインタビュー内容のテープ起こしをしていて、改めて思うこと。
やっぱりこのおっちゃん いや先生の話は面白い!
“そういうことを言いたかったの” とか
“こういう風に例えてあげると分かりやすいかも” とか
“なんでそんなこと思いつくの?”
流暢な話しっぷりに聞き入ってタイプするのを忘れていたり、
突如として話の内容に付いていかれなくなり、4,5回聴き直して理解したり。
面白いけど、かなり大変な作業です。
さて、それほどまでに面白いと言う内容を知りたいですよね。
だって、またサワリしか聴いてないので。
私達は、中央司令室の脳の指令で動いています。
動きとしての筋肉の反応もそうですが、呼吸や心拍などの無意識に行なわれている内蔵の動きも脳の指令で動いています。
その脳がちゃんと機能していないと、動きは悪くなります。
思考能力、イメージ能力が悪い人は運動神経が悪い。
一方、中央司令室が上手く働かなくても、末端の指令支部の機能が発達している人は上手く動くことができます。
イカやタコはそれぞれの脚に神経節を持っていて、各々の指令で働いています。
天才と言われる人達は、中央司令塔が正しく機能しているだけでなく、末端の司令支部も同じ様に、それぞれが司令塔を持って働ける状態になっている。
いわゆる、カラダのパーツをそれぞれ独自にコントロールすることができています。
現代の一般の人は、中央制御型になっています。
身体と心(思い)が別になっています。
心療内科では、「身体と心が関連ある」と言われていますが、心から身体に対する眺めでみているようです。
心=中央 身体=末端。
中心から末端に流れる情報を大切にし、末端から中心に流れる情報を疎かにしてしまい、一方通行になっています。
カラダは、末端の感覚神経からはどんどん情報を中央へ送っていますが、中央が拒否しているのです。
それは、現代人が頭で物を考えるようになったのが原因です。
職人と呼ばれる人達は、考えるというより、自分の感覚で感じとって技術をみがいてます。手足に脳があると言ってもいいでしょう。
私達のカラダは、脳と脊髄神経の中枢神経から遠心性の信号が末端神経につながり末端の筋肉が収縮弛緩して動いています。
その運動神経だけが大切にされて、末端の筋肉や腱にある感覚受容体から送られてくる信号、感覚神経を大切にしてない。
筋肉から得られる感覚で動けるようにならなければダメです。
そのためには、筋肉が柔らかく、十分に収縮弛緩できる状態にしておかなくてはなりません。
以上、さわりの一文です。
つづきはまた。
とは言っても、かなりのスローペースですが。
作業をしていて気づくことがあります。
それは私の感情の変化。
昨年松本先生を亡くし、平静でいられたわけがありません。
でも、長いこと先生の病と向き合って、ずっと一緒に病と対していたので、ほぼ1年かけてある種の覚悟はさせられてました。
だから自分ではシャンとしているつもりだったんです。
悲しいけど大丈夫。
先生が残してくれたものを無駄にしないように形にする。
先生からバトンを渡された者としての使命を感じてます。
っが、やはり先生の映像や音声、文章、先生を身近に感じられるものに触れるのが辛かった。
仕事と割り切っているつもりでも、そんな感情は長続きせず、悲しみにのスイッチが入るのが怖くて、蓋を開けられずにいました。
無意識のうちに避けてしまう。
一種の防衛反応です。
この反応はつい最近まで続いてました。
誰かがいると、普通に松本先生のことを語れるし、映像を見て分析することもできます。
でも、1人のときにこの作業を行なうのは、私にとってとても危険な行為でした。
最近、先生の動画を少しずつ紐解いて編集してます。
かなり昔の映像から、病を発症して亡くなる2ヶ月前に撮った映像も改めて見てみました。
さすがに亡くなる直前の映像はきつい。
でも、先生に関する資料は全て内容が豊富で、私の中で二つのスイッチが入ります。
一つは先ほど触れた、悲しみのスイッチ。
もう一つは、学習のスイッチ。
最近は、学習のスイッチの方が勝ってきました。
映像の他に、「1000万人のカラダ革命」用に収録したインタビュー音声を入手しました。
これは松本先生の集大成とも言える話が収録されているはずなんです。
一応テープ起こしをしようと思ってますが、なにせ膨大なデータです。
かなり根気のいる作業です。
そして、また中身が濃い。
松本先生と寝食をともにし、年がら年中松本語録を耳にしていたわけですから、私の頭の中には、かなり松本語録が収録されているはずなんです。
しかーし、記憶力の悪い私の頭脳は、どこへ収納しているのか、あるいは削除されてしまっているのか、出力することができない。
そういえは、先生が亡くなる直前に、教えてもらったことが私の中から消えてしまっていると泣きついたことがありました。
そんな時、先生は
「大丈夫、ちゃんと潜在意識の中に入っているから、折に触れてでてくるよ。」
と慰めてくれました。
先生のインタビュー内容のテープ起こしをしていて、改めて思うこと。
やっぱりこの
“そういうことを言いたかったの” とか
“こういう風に例えてあげると分かりやすいかも” とか
“なんでそんなこと思いつくの?”
流暢な話しっぷりに聞き入ってタイプするのを忘れていたり、
突如として話の内容に付いていかれなくなり、4,5回聴き直して理解したり。
面白いけど、かなり大変な作業です。
さて、それほどまでに面白いと言う内容を知りたいですよね。
だって、またサワリしか聴いてないので。
私達は、中央司令室の脳の指令で動いています。
動きとしての筋肉の反応もそうですが、呼吸や心拍などの無意識に行なわれている内蔵の動きも脳の指令で動いています。
その脳がちゃんと機能していないと、動きは悪くなります。
思考能力、イメージ能力が悪い人は運動神経が悪い。
一方、中央司令室が上手く働かなくても、末端の指令支部の機能が発達している人は上手く動くことができます。
イカやタコはそれぞれの脚に神経節を持っていて、各々の指令で働いています。
天才と言われる人達は、中央司令塔が正しく機能しているだけでなく、末端の司令支部も同じ様に、それぞれが司令塔を持って働ける状態になっている。
いわゆる、カラダのパーツをそれぞれ独自にコントロールすることができています。
現代の一般の人は、中央制御型になっています。
身体と心(思い)が別になっています。
心療内科では、「身体と心が関連ある」と言われていますが、心から身体に対する眺めでみているようです。
心=中央 身体=末端。
中心から末端に流れる情報を大切にし、末端から中心に流れる情報を疎かにしてしまい、一方通行になっています。
カラダは、末端の感覚神経からはどんどん情報を中央へ送っていますが、中央が拒否しているのです。
それは、現代人が頭で物を考えるようになったのが原因です。
職人と呼ばれる人達は、考えるというより、自分の感覚で感じとって技術をみがいてます。手足に脳があると言ってもいいでしょう。
私達のカラダは、脳と脊髄神経の中枢神経から遠心性の信号が末端神経につながり末端の筋肉が収縮弛緩して動いています。
その運動神経だけが大切にされて、末端の筋肉や腱にある感覚受容体から送られてくる信号、感覚神経を大切にしてない。
筋肉から得られる感覚で動けるようにならなければダメです。
そのためには、筋肉が柔らかく、十分に収縮弛緩できる状態にしておかなくてはなりません。
以上、さわりの一文です。
つづきはまた。
by idun-2006
| 2008-06-02 13:49
| りゅう先生