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心と身体のよりどころ

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特別授業 2回目

スクールの特別授業 茶道編の2回目を行いました。

席入り、袱紗捌きの復習、棗、茶杓の清め方、そして、時間の都合上お一人だけになってしまいましたが、盆略手前の形(実際にはお茶をたてず)を通しで行いました。

茶道には一定のルール(決まりごと)があります。
そこには 「真心」 が常に存在します。
もてなす心、 もてなされる者の心、 器に対する心。
礼に始まり 礼で終わる 茶道は、一時も気を抜くところはありません。
でも、それはけっして堅苦しいものではなく、真心さえ養えていれば、当たり前の事ばかりなんです。
自分がどれだけ気づくことができるのか。
それを確認するのにも、茶道は格好の場です。

かつて、よく主人と話していたのですが、
茶道のことなど全く知らなかった主人が、ある名家が主催する茶会に列席することになり、生まれて初めて茶席に足を踏み入れたある日の事。
家康所縁のお茶碗がでてきてどうぞご覧くださいと差し出され、何も知らない主人は普通に持ち上げて裏返したりして関心して見ていたのだそうです。
主人を誘った当時の会社の社長は、主人の傍若無人な振る舞いに目を白黒させていたらしいのですが、それが何故なのか分からなかった主人。
後日、それがどれほど無知な行為だったのか、説明を受けて理解したのだそうです。
知らないってことは恐ろしい。
でも、礼儀をわきまえていれば、何も恥らうことなく「訊く」ことができます。

ルールには 「何故?」 はありません。
しいて言えば、「真心」 があります。
ルールに意味をもたせようとすると、先に進めません。
理屈ばかりが先行し、そこに真心が備わらなくなってしまいます。

これは茶道に限らず、物事全てに当てはまります。
まず、習うことです。
習ったことに慣れてきたら、「何故」と追求し始めればいいのです。
何も身についてない初めから追求ばかりしていると、肝心なことを学ぶチャンスを失ってしまいます。

茶道と施療、そして実生活。
それぞれ別物と捉えてしまいますが、全て一緒なんです。
そこに真心がなければ、茶道も施療も日常生活も、形だけのものになってしまいます。
心が伴わない施療ほど、違和感を感じるものはありません。
茶道にしても、心が伴わない茶席は居心地が悪く、お茶も美味しくない。
ここでいう真心は、皆共通することなんです。

さて、参加されてる生徒さんたち。
どこまで捉えられて、実践することができるでしょうか。
来週もこの特別授業 3回目を行います。
by idun-2006 | 2007-03-25 08:40 | スクール

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