会話から学ぶこと
「今年は暑い」
ついつい 発してしまう言葉。
これもマスコミが熱中症やら熱帯夜の記録更新だとかであおっているせいでしょうか。
我が家の猫たちも、あれだけ嫌がっていたエアコンの冷風に、自らあたりにベストポジションを陣取る様子をよく見かけます。
でも、身体が冷えれば今度は冷気が届かないところへ移動して、冷えすぎないように調整してます。
このあたりは、野生の本能なのでしょうか。 身を守る術をちゃんと心得ているようです。
人間は?というと、身体が冷たくなっているのに、ギラギラの日差しを見れば、「いやまだ暑い。エアコン消すと暑くなるし。」とかいって冷やしすぎて体調を崩してしまいます。
エアコンを消すと熱中症になっちゃう。
エアコンに当たりすぎて冷房病になっちゃう。
理性なるものを手にした人間の代償なのでしょうか。
猫のような本能にベールをかけてしまった人間の愚かさなるものを感じてしまいます。
さて、今日は子育てに関連した話。
リンクさせてもらっているべべさん(やっとかめだにゃーも)。
教育現場で働きつつ子育ても経験をされているべべさんだからこそ、言葉に重みを感じます。
みんながやってるから。 みんな〇〇だから。 と右に倣えが得意な日本人?
電車に乗るといつも思う「異様な光景」。
ほとんどの人が携帯かDSかipodを手にゲームかメールか携帯コンテンツに没頭してます。
みんな下を向いて自分だけの世界へ。。。。
あるとき、昼間の車両で乗客を見回すと、7割の人が携帯かDSを手にしてました。
だから、周りの様子など気にもせず、たとえ優先席であってもかまわずに浅く座って脚を組んで、そんなに長くもない脚を投げ出してます。 お年寄りがこようが知らん顔。
ある教育熱心なお宅では、小学生のお子さんに与えるものに最新の注意を払っています。
中でも大半の子供が持っているゲーム機などは、絶対にタブー。
っで、ある日子供がお母さんに聞きました。
子供 「〇〇チャンも△△くんも持ってるのに、どうしてゲームしちゃだめなの?」
お母さん 「みんながやってるゲームは、人を蹴ったり殴ったり、殺し合うゲームが多いでしょ。だからダメなの。」
子供 「でも、◇◇くんも〇〇くんもやってるのに、どうして家だけだめなの?」
お母さん 「じゃあ君は殴られたり蹴られたりしたら、どう?」
子供 「やだ」
おかあさん 「そうね、殴られたら痛いもんね。やだよね。 だから、自分がやられたら嫌だって思うようなことを、たとえゲームだとしてもやってはいけないの。」
このやり取りに対して、ご意見は様々あると思います。
そんなこと言ったって、子供はいうことを聞かないとおっしゃるお母さんも多いのではないでしょうか。
このお宅では、もっと小さな頃から 「なぜ?」 ってことを子供が分かるまで説明してます。
そういった会話の中で、そのお宅なりのルールを教えています。
子供が学校へ行くようになって よそのお宅の流儀が自分の家のルールと違っていて疑問に思ったとき、親にぶつけます。
その時に、面倒がらず、人任せにせず、子供が理解できるまで何時間かかっても永遠と説明し続ける。
そういった親の姿勢が揺らがないから、子供も迷うことなくそのルールに従うことを少しずつ学ぶようです。
ただし、抑制ばかりでは、子供は鬱憤がたまり、ある日突然爆発してしまいます。
家でゲームはタブーだけれど、その代わりに外ではこんなに面白い遊び方があるのだと、親が教えてあげる。
おもいっきり野原を駆けずり回ったり、葉を編んで虫篭をつくったり、はかない昆虫などの命に敬意を払う。
そういう情緒を養う機会を、親が子供に与えてあげることが大切です。
子育てって、誰もが正解など見出せず手探り状態なのではないでしょうか。
正解を求めるより、親が一生懸命に真っ直ぐ生きる姿を見せていれば、子供は勝手に育っていくものなのかも知れません。
もっとも大切なこと。 会話をもつこと
くったくのない子供の一言から、色眼鏡で見てしまうようになっていた大人の視線に気づかせてもらったりすることもあるでしょう。
親との会話を通じて、責任を持つこと、物を大切にする、丁寧に扱う、などの人としての基本的なことを伝えていく。親がこういったことをないがしろにしていて、子供が学べるはずがないのです。
親子の会話だけでなく、夫婦の会話も同様です。
ただ自分の主張をぶつけ合うような会話ではなく、相手をなじることでもなく、語り合い、互いに考える時間をもつこと。
そこで見出したことは実践してみる。
親子であれ夫婦であれ、こういう時間をおしみなく持つ努力をしたいですね。
ついつい 発してしまう言葉。
これもマスコミが熱中症やら熱帯夜の記録更新だとかであおっているせいでしょうか。
我が家の猫たちも、あれだけ嫌がっていたエアコンの冷風に、自らあたりにベストポジションを陣取る様子をよく見かけます。
でも、身体が冷えれば今度は冷気が届かないところへ移動して、冷えすぎないように調整してます。
このあたりは、野生の本能なのでしょうか。 身を守る術をちゃんと心得ているようです。
人間は?というと、身体が冷たくなっているのに、ギラギラの日差しを見れば、「いやまだ暑い。エアコン消すと暑くなるし。」とかいって冷やしすぎて体調を崩してしまいます。
エアコンを消すと熱中症になっちゃう。
エアコンに当たりすぎて冷房病になっちゃう。
理性なるものを手にした人間の代償なのでしょうか。
猫のような本能にベールをかけてしまった人間の愚かさなるものを感じてしまいます。
さて、今日は子育てに関連した話。
リンクさせてもらっているべべさん(やっとかめだにゃーも)。
教育現場で働きつつ子育ても経験をされているべべさんだからこそ、言葉に重みを感じます。
みんながやってるから。 みんな〇〇だから。 と右に倣えが得意な日本人?
電車に乗るといつも思う「異様な光景」。
ほとんどの人が携帯かDSかipodを手にゲームかメールか携帯コンテンツに没頭してます。
みんな下を向いて自分だけの世界へ。。。。
あるとき、昼間の車両で乗客を見回すと、7割の人が携帯かDSを手にしてました。
だから、周りの様子など気にもせず、たとえ優先席であってもかまわずに浅く座って脚を組んで、そんなに長くもない脚を投げ出してます。 お年寄りがこようが知らん顔。
ある教育熱心なお宅では、小学生のお子さんに与えるものに最新の注意を払っています。
中でも大半の子供が持っているゲーム機などは、絶対にタブー。
っで、ある日子供がお母さんに聞きました。
子供 「〇〇チャンも△△くんも持ってるのに、どうしてゲームしちゃだめなの?」
お母さん 「みんながやってるゲームは、人を蹴ったり殴ったり、殺し合うゲームが多いでしょ。だからダメなの。」
子供 「でも、◇◇くんも〇〇くんもやってるのに、どうして家だけだめなの?」
お母さん 「じゃあ君は殴られたり蹴られたりしたら、どう?」
子供 「やだ」
おかあさん 「そうね、殴られたら痛いもんね。やだよね。 だから、自分がやられたら嫌だって思うようなことを、たとえゲームだとしてもやってはいけないの。」
このやり取りに対して、ご意見は様々あると思います。
そんなこと言ったって、子供はいうことを聞かないとおっしゃるお母さんも多いのではないでしょうか。
このお宅では、もっと小さな頃から 「なぜ?」 ってことを子供が分かるまで説明してます。
そういった会話の中で、そのお宅なりのルールを教えています。
子供が学校へ行くようになって よそのお宅の流儀が自分の家のルールと違っていて疑問に思ったとき、親にぶつけます。
その時に、面倒がらず、人任せにせず、子供が理解できるまで何時間かかっても永遠と説明し続ける。
そういった親の姿勢が揺らがないから、子供も迷うことなくそのルールに従うことを少しずつ学ぶようです。
ただし、抑制ばかりでは、子供は鬱憤がたまり、ある日突然爆発してしまいます。
家でゲームはタブーだけれど、その代わりに外ではこんなに面白い遊び方があるのだと、親が教えてあげる。
おもいっきり野原を駆けずり回ったり、葉を編んで虫篭をつくったり、はかない昆虫などの命に敬意を払う。
そういう情緒を養う機会を、親が子供に与えてあげることが大切です。
子育てって、誰もが正解など見出せず手探り状態なのではないでしょうか。
正解を求めるより、親が一生懸命に真っ直ぐ生きる姿を見せていれば、子供は勝手に育っていくものなのかも知れません。
もっとも大切なこと。 会話をもつこと
くったくのない子供の一言から、色眼鏡で見てしまうようになっていた大人の視線に気づかせてもらったりすることもあるでしょう。
親との会話を通じて、責任を持つこと、物を大切にする、丁寧に扱う、などの人としての基本的なことを伝えていく。親がこういったことをないがしろにしていて、子供が学べるはずがないのです。
親子の会話だけでなく、夫婦の会話も同様です。
ただ自分の主張をぶつけ合うような会話ではなく、相手をなじることでもなく、語り合い、互いに考える時間をもつこと。
そこで見出したことは実践してみる。
親子であれ夫婦であれ、こういう時間をおしみなく持つ努力をしたいですね。
by idun-2006
| 2010-09-01 12:15
| 徒然ごと