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心と身体のよりどころ

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スッピン奮闘気 ~痛み~

今回は痛みに対してのお話。

癌の痛みは想像を絶する痛みと言われていますね。
主人の痛みも病の進行に応じて、尋常ではない痛み方にエスカレートしていきました。

彼が自ら身体の異変に気づいた頃から数ヶ月、痛みは生じていませんでした。
結果論からすると、癌が発症した臓器は大腸・肝臓。 共にサイレントの臓器だったから。
しこりは触れるものの、痛みがない。
当時、しこりの場所から胃がんと思いこんでいた主人は、癌の進行を痛みと照らし合せていたのだと思います。
これが落とし穴だったんですね。
痛みはないけれど、サイレント臓器の中で癌は確実に進行していました。

徐々に痛みを感じるようになるなか、彼は痛みを押し殺し、私に見つからないように一人で苦しんでいました。
私が仕事で外出している間。
私がお風呂へ入っている間。
私に気づかれないように、痛みに耐えていました。

ある晩、お風呂から出ると、主人のうめき声が聞こえてきました。
でも私がお風呂から出た気配を察すると、うめき声は消えました。
「私に悟られないように、我慢してるんだ。」

次第に痛む頻度が増してくると、夜中に耐えられない痛みが襲ってくるようになります。
寝ている私を起こしたくない。 だけど、我慢できない。
私の隣で痛みで呻く主人。
始めは主人が気遣うから、私は気づいてない素振りを装っていたのですが、さすがに無視することができなくなり、主人の背中を擦ってあげます。
そんなことくらいしかしてあげることができないのです。

一端、私に自分が痛みで苦しむ姿を見せてしまうと、以後ありのままの姿をさらけ出すようになりました。
もう誤魔化すことができなくなったんです。

痛みが更に増してくると、昼夜問わず、痛みでもがき苦しむようになります。
ただ、この頃の痛みは、原因がはっきりしていました。
食事で体力をつけたくて固形物を少しでも食すると、胃の噴門部を抜けるときに強烈に痛み、その後腸を巡り身体から抜け出すまで、痛みと発熱で苦しみます。
分かっていても、体力をつけたくて “このくらいなら” との自己判断で固形物を食べてしまい、結局痛みと発熱でくるしむ。 この繰り返しでした。

その頃、主人は私に言った一言。
「内臓を抉り出したいほどの痛みって、分からないでしょう。」

いいえ、分かります。
子宮内膜症による生理痛の痛みが最悪だったころ、医師から処方された鎮痛剤も効かなくなり、3日間満足な食事もできずにベッドの上でのた打ち回っていました。その頃に、同じようなことを思ったものです。
4日後には痛みが治まると分かっているものの、強烈な痛みに襲われると身の置き所がなく、解放されることのない痛みのために悲観し、しまいには内臓を抉り出して捨ててしまいたい衝動にかられます。
主人の痛みは、その頃の私の痛みと同様であることは分かります。
察することはできても、どうしてあげることもできない。
私が生理痛を起こしているとき、主人に背中や腰を少しでも解してもらうと、痛みの感じ方が全く変わります。
痛みがなくなることはありませんが、かなり軽減されます。それに薬の効果が向上するため、服用量が半減します。
だから、痛みで苦しむ主人を前にして、私が思いつくことは、背中を解してあげること。

主人も私と同じ事を言ってました。
「痛みがひどいときに背中を解してもらうと、痛みが全くなくなるわけではないけれど半分になるんだよ。それだけでもかなり楽になるんだ。 助かるよ。」

これこそがブレインストレッチの効果なんですね。

主人がそれほどの痛みをかかえるようになっても、極力鎮痛剤を使わなかったのは、理由があります。
彼は自律神経のバランスに着目していました。
身体が交感神経優位状態が長年続くようになると、様々な病を発症する確率が増してきます。
そして、交感神経優位状態は、癌細胞にとってうってつけの状態で、どんどん増殖していきます。
鎮痛剤を服用すると、身体は一端交感神経優位状態となります。
だから、服用を避けていました。
“死ぬわけにはいかない。 まだ皆に伝えたいことがある。 自分を求めてきてくれる人のためにも、病を克服しなければならない。”
彼が抱いている使命感から、痛みに耐える道を選択していました。

彼の決意を知りつつも、夜中に何度も苦しむようになると、
“私は明日仕事があるんだから、勘弁してほしい。 寝かせてほしい。” という思いにかられます。
“そんなに苦しいんなら、鎮痛剤を飲んでよ。”
こういう事態になると、迷いが生じます。
鎮痛剤を飲んでほしいと思うのは、私の都合であって、身勝手な思いなのだろうか。
それとも彼の身体のために、薬を飲ませるべきなのか。
どっちを選んでも、正解なんてものはありません。

私たちは、彼の強い意志もあり、彼の思いを尊重して薬を服用しない道を選択していました。
(但し、仕事に出るときは、薬を服用して痛みを抑えていました。)

私は主人の看病に関して、“やれることは全てやった” という自負があり、後悔することはありません。
但し、二つだけ心残りの出来事があります。

ある晩、激しい痛みにもがき苦しむ主人。 その晩は、背中を解しても痛みが軽減されずに、一晩中苦しんでいました。 勿論、私もお付き合い。 睡魔に襲われつつも、必死に主人の背中に手を伸ばす。 手が止まるとうめき声というより彼の絶叫に近い声で目が覚める。 見ると布団を咬んで痛みに耐えようとしている主人。 私の方が根負けして、水と薬を口元に差し出し、
「お願いだから薬を飲んで。こんなに苦しむのなら、鎮痛剤の副作用と比べたって同じことだよ。 さあ、薬を飲んで!」
喉から手が出るほど本当は薬を飲みたい主人。 あれだけ拒絶していたのに、一瞬私の誘惑に引きずられそうになり、目が泳ぎます。 半分口が開きかかったけれど、打ち消すように首を横に振り、
「駄目、飲まない! 皆のためにも飲めないの。」 
そして、横を向いて再び痛みと向き合ってました。

私は、彼が少しでも楽になってほしいという思い一心で薬を手にしたのですが、あの瞬間の主人の目が脳裏に焼きついています。彼の葛藤を思うと、主人に対してとても残酷なことをしたように思えてきて、胸が苦しくなります。

これはあくまでも結果論であって、私のしたことに是も非もありません。
何をしたにせよ、悔やむ思いは湧き出てくるものです。
大切なのは、今生きている私の命を曇らせないこと。
そして、時間を共有する中、いろんな経験をさせてもらった主人に感謝すること。
それのみなんです。

もう一つの心残りのお話は、次回にすることにします。
by idun-2006 | 2009-09-19 10:41 | 心と身体のストレッチ

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